
先週金曜日、事務所は世界的に有名な日本の某建築雑誌より取材を受けた。その前日木曜日に突然取材の依頼を受けるという急展開だったのだけれど、それには理由があった。今回、その雑誌ではポルトガルの若手建築家、具体的には60年代生まれの建築家に焦点をあてた特集を組む予定だ。それで、イネス・ロボ、ARX、ファルカオン・デ・カンポスなどに今回既に取材をされていた。そしてその行く先々でカヒーリョ・ダ・グラサは訪ねたのか、と聞かれたらしい。それで急遽、木曜日にうちの事務所にぜひ「ベレン宮殿アーカイブ棟」を見せてほしい、と取材依頼があった。金曜日の午前中に見学された後、今回一人で取材されている副編集長が事務所にいらっしゃった。ペドロが事務所の作品を紹介していると、彼女はプロジェクトの数や事務所の規模に驚かれていた。正直、このような事務所がリスボンに存在するとは思われていなかったようだ。プライベートにこれだけ仕事の依頼を受けながら、かつ、たくさんのコンペに参加しているのは、リスボンと言わず、ポルトガル唯一であると僕は思う。
事務所を訪ねられた後、リスボンで建設中の「音楽学校」の現場をペドロと僕とで案内する。午後5時よりアイレス・マテウスを取材された後、僕は彼女と夕食を取り、ポルトガル建築界のことやリスボンでの生活のことなどを話した。彼女は事務所からもらったElectaの作品集を見てにこにこしながら、「何かいいんですよね、これ」と感想をもらしていらっしゃった。カヒーリョはもちろん、ポルトガルの建築家のことをもっと紹介してほしい、と僕は言った。小国ながら、ポルトガルが「建築大国」であることは間違いない、と僕は思う。
翌日にマデイラ、その後ポルトを取材され、日本へ帰国されるようだ。帰国後に彼女からどのような感想が聞かれるのか楽しみだ。
(写真:建設中のリスボンの音楽学校。europaconcorsiより。)
28 January 2007
日本より取材
27 January 2007
アズレージョのある風景

ポルトガルでアズレージョはいろんなところに見かけることができる。リスボンの古い宮殿や教会に出かければ、必ずといっていいほどアズレージョで壁一面覆われた部屋に出会う。それが天井まで伸びて、その空間を、完全に包んでしまっているようなものもある。あるいは、その教会の入り口の脇にあるベンチの背にアズレージョが施されていたり、噴水の水の出口をさりげなく飾ってあったりもする。毎朝出来立てのパンを買いにいくパダリアのおばあちゃんの向こう側にもアズレージョの装飾がある。展望台の木陰で読書をすれば、そのブックカバーになりそうなアズレージョがすぐそばにある。
そんなアズレージョの特集記事が載った雑誌「iA(アイ・エー)04」が今月末エクスナレッジより発売されます。
(写真:サンタ・ルジアのミラドウロ。特集で記事を書かれた建築家+左官職人の森田さん提供。)
26 January 2007
Freespeech
リスボン版ぺちゃくちゃないと、Freespeech。
http://www.info-freespeech.blogspot.com
これは以前僕がスシ(推定)100人前を作った、Naval Rochaの倉庫で行われているイベントで、毎月国内外の建築家、デザイナーなどを呼んでフリースピーチをしてもらおうというもの。テージョ川沿いの倉庫を改修してオフィス、ワークスペースとして使っているのだけれど、その辺も「ぺちゃくちゃないと」と類似。Freespeechは今回で5回目と、歴史は浅いけれど、今のところ年末を除いて毎月開催されていて、割と順調。あいにく、僕はことごとく他の予定と重なってしまうので、まだ一度しか行ったことがないけれど、結構おもしろかった、ような気がする。毎月、ほとんど無名な人ばかり来るので、発表も飾らず、フランクで、観客もビール片手にポテトチップスぼりぼり食べている感じ。とにかく、あなたが偶然にもリスボンに住んでいるのなら、行ってみると良い。あと、Naval Rochaには結構おもしろいデザイナーがいます。
25 January 2007
アハイオロス
21 January 2007
ビカ線で1年半ぶりの再会
昨日、僕は久しぶりにバイロ・アルトに飲みに出かけた。留学時代の友人に1年半ぶりに会うために。シルビア、シルヴァンカップルに初めて出会ったのは、もう3年以上前のことだ。大学の最終プロジェクトを終えた後、彼女らはオランダで研修をし、その後、フランスで実務経験を積んでリスボンに戻ってきた。シルヴァンはメールでやりとりをしながら今でもフランスの事務所と仕事を続けているが、シルビアは現在職探し中だ。しかし、久しぶりにかけた電話の向こうから聞こえてくる彼女の声には不安を微塵も感じさせない。しっかり今までやってきた自信があるのだろうと思う。
彼女らはビカ線沿いに家を見つけた。以前のアルファマの家に負けず、リスボンを十分に味わえる立地だ。共通しているのは、いずれの家からもテージョ川が見え、階下を市電が通ることだ。テージョ川の見える家に住むことができるのは、本当に羨ましい。
会話が英語からポルトガル語に変わった分、その言葉遣いから彼女らの「人柄」や「気持ち」を生で感じることができるようになったのはうれしいし、また、とても不思議な感じがする。
20 January 2007
モンテモール・オ・ノヴォにてプレゼン


昨日、担当プロジェクトのプレゼンテーションがモンテモール・オ・ノヴォ市であった。今回はestudo previoと呼ばれる建築許可申請の一歩手前の段階。クライアントと市長に対してのプロジェクトの説明だった。ロンドンのSergison Bates architects、スイスのPeter Maerkliの海外事務所を含め、計5つの建築設計事務所(残りの2つはリスボンのPromontorio、ポルトのJose Paulo dos Santos)とランドスケープ・デザイン担当のPROAPが参加した。
敷地はオリーブの木が所々に生え、岩がゴロゴロところがっているいかにもアレンテージョ地方らしい場所だ。その景色を眺めているだけで、僕はここにアレンテージョのおいしいワインが眠っているのを想像してしまう。ポルトガルでは最近、こういった広大な台地に有名建築家を呼んでリゾート開発を行うのがはやっているようだ。こういう種類のプロジェクトにはいろいろと思うところはある。一応、環境負荷評価手法のBREEAMがこのプロジェクトには導入されているが、これがどれくらい有用なのかは僕は知らない。
クライアントには以前リスボンでプレゼン済みなので、今回は市長に説明するのが目的。特に異論を唱えられることもなく、無事プレゼンは終了した。
ジョゼ・パウロ・ドス・サントスが改修を担当したアライオロスのポウザダで昼食をとった後、同建物内でプロジェクトに参加している建築家、ランドスケープ・アーキテクト、クライアントの間で意見交換が行われる。みんな赤ワインをたっぷりと飲んだ後だったので、かなり率直な意見が飛び交う。このプロジェクトで「クラスター」というのが全体のコンセプトになっており、敷地内に7つのクラスターがある。そして、建物が集まる中央にパブリックな広場を作ることが要求されている。マスタープランを作ったPromontorioからは、コミュニティという言葉が時々聞かれるため、これにはうちを含めたいくつかの事務所が懐疑的だ。ただでさえ週末住宅というプログラム、しかも顧客対象はリスボンや海外などから週末、あるいは夏の休暇を過ごしにやってくるような人々だ。だからその広場、スペースは何のためにあるのか、ということを考えないといけない。そこが子供が遊ぶためのスペースにならずとも、集まって住むことにはセキュリティやインフラの共有という面でいい所はたくさんある。そういったことに関して建築家間で意見の相違があった。
何はとまれ、プロジェクトはまた一歩前進した。
(写真:1/500の模型。各ボリュームから見て時計回りにそれぞれの庭を持つ。クラスター外周部の2階部分からモンテモール・オ・ノヴォの城が見える。)
09 January 2007
ポルトガルの移民文化 1
ポルトガルのおもしろさに移民の文化がある。もともとポルトガルの植民地だったブラジルやPALOPと略されるアフリカの5カ国、インドのゴア、中国のマカオ、ティモールなどの文化だ。それらの国々の食文化や音楽に最近、僕はとても興味を持っている。
そのうちの一つにカボ・ヴェルデの音楽がある。ヨーロッパからアメリカ大陸へ行く途中の補給港として栄えたカボ・ヴェルデは、大西洋に浮かぶ小さな島々からなる。そこではポルトガル語と同時にクレオール語と呼ばれるポルトガル語から派生した言語が話されている。カボ・ヴェルデの音楽の多くが、このクレオール語で歌われる。クレオールとは、ポルトガル人と、アフリカ大陸から連れて来られた黒人奴隷(元々は無人島)との間から生まれた人々を指し、国民の7割を占める(ヨーロッパ各地にもコミュニティがある)。その言葉の響きも魅力の一つとなっている。
最近、僕がfnacで視聴に視聴を重ねて買ったCDが、Tito ParisとBoy Ge Mendes。フランスなどではカボ・ヴェルデの音楽というのは流行っているそうだが、ポルトガルではそれほどでもない。B.Lezaという僕が大好きなアフリカン・ディスコ(カボ・ヴェルデ中心)も、ポルトガル人はなかなか行こうとしない。Tito ParisのCDは、そのB.Lezaでのライブを収録したものだが、B.Lezaの雰囲気が伝わってきて、僕はかなり気にいっている。B.Lezaの雰囲気は僕がポルトガルを去っても、いつになっても、忘れないと思う。
06 January 2007
ポルトガル剣道記 2
昨日が今年の稽古始めだった。これで4回目の参加となり、随分と勘が戻ってきた気がするけれど、いわゆる筋持久力というのが落ちている。自分では動くつもりも、体がついてきてくれないのだ。でもこれは練習を続けるうちに取り戻せるものだから心配はしていない。
4回目となると、だいたいの人と顔見知りになっているが、昨日初めて会ったという人もいる。その一人がジュニー君だ。彼は日本人の母親とポルトガル人の父親を持つハーフで、関西訛りの日本語もしゃべる。
「今、僕、高3です。」
「高3?ポルトガルの高3って、日本の高3といっしょなの?」
僕は、学年のことを聞いたつもりだったけれど、
「いや、中3といっしょくらい。」
と、ちょっと吐き捨てるように言う。僕は、思わず、え、何が?と聞き返すと、
「いや、頭のレベルが。休みが多すぎる、夏休み3ヶ月で、宿題も何もないからね。」
と、彼はポルトガルの「ゆとり教育」を憂う。でも何か、だめなんだよな、この国、と言いながらニコニコと笑っているのは、いかにも関西の血を受け継いでいる気がする。帰り、彼はわざわざ仲間に頼み込んで、僕を家の近くまで送ってくれた。今度、カステラ買いに行くからね、と僕は言って別れた。彼の両親とは、あの「カステラの里帰り」を目指していらっしゃるご夫婦である。
04 January 2007
ポルトガルのテレビ
僕はテレビがなくても生活できるというタイプの人間ではないから、例えそれが全て外国語によるものとは言え、部屋のテレビは常につけっ放しだ。もちろん、時々テレビを消して、ラジオをつけたり、CDで音楽を聴いたりするのも好きだ。でもやっぱりテレビは欠かせない、たとえポルトガルのテレビ番組の大部分がつまらなくても。
ポルトガルのテレビがつまらないな、と思うのにはいくつか理由がある。例えば、夜仕事から帰ってくる時間帯に毎日性懲りもなくやっているクイズ番組。以前(3年前くらい)はミリオネアをやっていたが、今ではそれをちょこっと改造したようなのをやっている。まあ、これはまだいい。
このクイズ番組はRTPという日本のNHKのようなテレビ局がやっているが、RTPはまだいい。問題はその他の民放2局だ。毎日、明らかにレベルの低い「連ドラ」をやっている。素人目にもカメラワークが下手だと思うし、話をつなぐテクニックがないのか、ごまかしの映像テクニックで3分おきくらいに突然話の場面が切り替わる。ブラジル産より、ポルトガル産のドラマが見ていてひどい。
最もひどいと僕が思うのは、これら民放2局で流れるCMである。ちょっと時間帯が遅くなれば、ケーブルテレビでよく見かけるような、携帯の出会い系サイト、ポルノサイトの広告が次々と流れるのだ。この手の産業にあっけなく広告枠を奪われてしまっている。広告に関して言えば、ドラマの最中に、SMSを送って賞金を当てよう、といったテロップが流れ続けるのにも閉口する。(しかもアンケートなどではなく、ただSMSを送れば良い。視聴者をつなぎとめる最も安直な手段だ。)
他にも出演者が常に同じであったり、アメリカやイギリスのテレビショーが大量に流れていたり、全体的にポルトガルのテレビ局には創意工夫が欠けるのだ。他国のテレビ局と比べてお金がないのだろうが、お金がなくてもいろいろと工夫はできるはずである。ポルトガル人はテレビ好きを自認するが、それならもっとテレビに情熱を注いでほしいと思う。僕はリスボンにいるのでポルトガルに地方局があるのか知らないが、「地方発、全国区」のようなテレビ番組が出て来ないものだろうか。
そんな中、RTP2(日本のNHK教育に相当)は海外の興味深いドキュメンタリーを放送しているし、RTP1にも「Gato Fedorento」のようなポルトガル語を完全に理解できればかなり笑い転げるであろうコメディショーもあり、ポルトガルのテレビはおもしろくなってきている気はする。中でも僕がいいな、と思うのは、「Dança Comigo」(RTP1)。お隣スペインにほとんど同種の番組があるのでそこから持ってきたのだとは思うが、これは日本の「のど自慢」的番組で、素人のポルトガル人がダンスを習得して番組で披露するというものだ。そこには、ポルトガル人でも踊れない、飛べない鳥もいるという背景がある。そして、普通のポルトガル人が、少々ぎこちなくても、その気になって踊るのは、見ていて微笑ましくなる。なあんだ、踊れない人もいるんだ、と僕を含め多くの人に勇気を与えてもいる。披露後の審査員とのやりとりや、プロのダンスショーなども含めてエンターテイメント性に富んだ番組だ。
こういう番組が他にもあるかもしれないから、やはり、テレビはつけっ放しにしておかねばならない。
03 January 2007
寝ているうちに足がつる
1月2日、今日から仕事始め。
年越しはポルトへ行こうと思っていたのだけれど、スペインから帰ってきてずっと風邪気味だったのでポルト行きは断念。年末に体調を整えることにした。年末休暇といっても、30、31、1の3日間の休暇なので、ここでリスボン-ポルト間を電車で往復して、年越しで調子に乗って酒を飲み過ぎたりしたら、とても体調が良くなりそうにない。
酒を飲みすぎる、というのは日本にいたときに比べて減ったけれど、時々飲みすぎて、そのまま風邪を引くというパターンがこちらに来てよくある。ビールを飲みすぎた分にはほとんど問題ないのだが、ワインを飲みすぎたときに決まって体調を崩す。今回もスペインへ出発する前日の、事務所のクリスマス・ランチで赤ワインを飲みすぎたせいだ。家へ帰ってきたら、あまりにも頭が痛く、寝坊したら飛行機アウトだと思いつつ、とりあえず寝て、翌朝荷物をつめることにしたくらいだった。まあ、往々にして飲みすぎた日は妙に朝早く目が覚めたりするものなので、きっちり早起きができたけれども。
でも以前は飲みすぎて風邪を引く、なんていうことはなかった。これは以前みやべ夫妻に、
「そのうち寝てるうちに足がつったりするようになるよ。夏、半ズボンで寝ちゃだめだよ。」
と言われたのだけれど、そういうやつだろうか。飲みすぎて風邪を引いたり、寝ているうちに足がつったり、以前は思いも寄らなかったことが僕の体にも起こり始めているのかもしれない。

