
ポルトガルの建築家といっても、世界的に知られているのはたいていポルトの建築家。リスボンにも世界的とは言わずとも、ヨーロッパ内では知られている有名な建築家はいる。ゴンサロ・ビルネもそんな一人だ。このブログからもリンクを貼っている、a barriga de um arquitecto でも紹介されていたが、最近ゴンサロ・ビルネのウェブサイト(http://www.byrnearq.com/)がオープンした。どうやら CCBでの展覧会に合わせたもののようだ。僕も一通り全作品の写真を見てみたが、これまで僕が知らなかった住宅作品などもおもしろそうなものがある。ムラがあるとも思うが、初めて見た人は「ポルトガルっぽい(シザっぽい)」と思うに違いない。このポルトガルっぽさというのは実はイタリア合理主義の影響だ。これまたほとんどの人が手にとって見たことがないと思うけれど、ジュゼッペ・テラーニの作品集(Electaのがおすすめ)を眺めてみれば、ポルトガルっぽさを発見すると思う。ゴンサロ・ビルネは今をときめくアイレス・マテウスの師匠であり、「おじ」でもある。
(写真は http://www.byrnearq.com/ より)
29 November 2006
ゴンサロ・ビルネ
27 November 2006
25 November 2006
ワールドカップの借りを返す
チャンピオンズ・リーグの第5節が今週終了し、ポルトガルの3チームの明暗が分かれ始めた。ホームでインテルを破るなど、当初は3チームの中で一番調子の良かったスポルティングが、アウェイでそのインテルに敗れて敗退が決まった。一方、第3節が終わった時点で敗戦の色の濃かったベンフィカは第4節、第5節と連勝し、次節、マンチェスター・ユナイテッドに勝てば、そのマンチェスターを押さえて決勝トーナメントに進むことが可能になった。FCポルトは勝ち点10で次節対戦する首位のアーセナルと並び、同組3位のCSKAモスクワの結果次第では、次節負けても決勝トーナメントへ進むという状態になっている。
ベンフィカと同じF組では、中村俊輔の所属するセルティックがチャンピオンズ・リーグを戦っているが、第3節にベンフィカがセルティックをホームで3-0で下してから、F組は4チーム全てにトーナメント進出のチャンスがある大混戦となった。そして前節、ベンフィキスタにとって、セルティック-マンチェスター戦はその結果が大いに気になる試合だった。その試合で中村はあのフリーキックを決めて、決勝点を挙げた。ポルトガルのテレビでも何度も中村のフリーキックのシーンが流れて、ベンフィキスタはもちろん、ポルトガルのサッカーファンの間で、中村は一躍有名選手となった。
「ナカムラがバロンドールだね」
なんて冗談を僕はゴンサロに言えるようになった。ポルトガルで作ったワールドカップの借りを、少しだけ返すことができた。
21 November 2006
近所迷惑なアートギャラリー

先週水曜日に同僚兼同居人、マリアと行った展覧会。マリアのボーイフレンドのキリオ(つまり彼も同居人)がやっている建築事務所、kaputt! がインスタレーションをやっているということもあって行ってみた。彼らのインスタレーションは、可能性を秘めつつも未完な感じを与えていて、それこそ可能性に満ちていた。構想も含めて3日という短期間であったため、設置の問題がいろいろあったようだ。
このラランジェイラスにあるギャラリー自体はアイレス・マテウスの設計。住宅地のマンションの1階という立地がおもしろいと思った。オープニング・パーティをやっていたその日、時々帰宅してくる人々が何だろうと訝しげに眺めていた。日常に深く入り込んだアートギャラリー。
もう一つの担当プロジェクト
もう一つ担当プロジェクトができた。今度はオビドスにある、ア・ドシュ・ネグロシュという小さな町の町役場。合わせて、その隣に小さな診療所を建てる。小規模で、プログラムもシンプルなプロジェクトだ。町役場は、既存の廃墟同然の建物を修復して、そこに入れる。緩やかな勾配のある敷地に、残りのプログラムの診療所をどこに配置するかを今日は検討していたが、だいたい決まってきた。町役場となる建物以外に、敷地を取り囲んでいる既存の壁があるので、それをうまく使えそうだ。同じ部屋で仕事しているリチャルディとゴンサロにも案を説明し、彼らも同意してくれた。
2週間前に始まったモンテモール・オ・ノヴォの週末住宅のプロジェクトは、実は先週からストップがかかっている。このプロジェクトには海外の事務所も含め、いくつかの事務所が参加しているのだが、ジョアン・ルイスはプロジェクト内で主導権を握ろうといろいろと手を打っているらしい。それがはっきりとするまでちょっと作業をやめておけ、とのこと。
とにかく今はア・ドシュ・ネグロシュに集中しよう。ポシャるかもしれない、などと考えていてはこの国で仕事をやっていけない。半分冗談だが、半分本当でもある。
19 November 2006
7度目のスシパーティ
7度目となると、もはやできて当たり前の感があるが、それでも2時間くらいの手間をかけてテーブルにスシが並ぶと達成感がある。昨日は日本からリスボン工科大に留学している学生5人に手伝ってもらったため、僕がやることはいつもに比べてあまりなかった。
それにしても同僚フレデリコはいい家に住んでいた。狭い狭いと言っていたから、10人も入れるかなと心配だったけれど、そんな心配は無用だった。屋根裏部屋で部屋からはテージョ川を眺めることができ、時々船の汽笛が聞こえてくる。部屋自体もきれいに改装されていて、最上階の6階まで階段で上がらないといけないとは言え、素敵な家だ。もっとも家賃は僕が住んでいる所の2倍近くはしているけれど。
デザートはフレデリコの実家から送ってきたスイスのチョコレート。スイスにはいろんな種類のチョコレートがあるんだな、と思った。
このスシパーティ、何度もやっているとは言え、一度やると半年くらいは間を置きたくなるというのが正直な感想だ。やはり手間がかかる。まあ手巻き寿司にすれば労力は半分くらいで済みそうだな。次からはそうしよう。
14 November 2006
ポルトガルの環境問題
ネットで偶然見つけた記事。「サウダーデ」などと言っていられない現実がある。
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資源の無駄遣い、温室効果ガスの排出、土壌劣化などポルトガルの自然環境は最悪な状態にある。
歴代政府は、「緊急の措置」を取ると常に公約してきたが、言葉の上だけに過ぎなかった。緑の党のイザベル・デ・カストロ副代表は、ポルトガルは世界でも先進的な環境法を持ち、憲法にも環境権について規定されているのに、現実との間にギャップがありすぎると語る。
(中略)
ひとつの大きな問題は、土壌が劣化し生物の多様性が失われていることだ。ポルトガル全土の9万2,000平方キロのうち、半分以上が砂漠化の危機にあり、3分の1以上が土壌劣化の危機にある。
また、2003年から05年にかけて起こった山火事により、全土の森林の80%が消失してしまった。
これらに加え、人工的な問題もある。ひとつは、土地利用規制が緩く、都市の開発が無計画に行われていること。もうひとつは、違法建築・砂丘の破壊・無許可の砂採取などによって、海岸線の80%がすでに何らかの形で人の手によって荒らされていることである。
さらに、河川の半分以上は深刻な汚染状態にあり、温室効果ガスの排出もきわめて多い。EUが2005年12月に国連気候変動会議にて行った報告によれば、2008年から12年の間に、ポルトガルの温室効果ガスの排出は42%も増加するだろう、という。他方欧州全体は、京都議定書によって2012年までに[1990年レベルの]マイナス8%が目標とされているが、2010年までには9.3%マイナスを達成できると予測されている。
(Inter Press Service Japan、『ポルトガル:大惨事への片道切符』より)
http://www.janjan.jp/world/0606/0606105831/1.php
13 November 2006
ワインにまつわる話
16、17世紀のポルトガルに富をもたらしたものには、胡椒、砂糖、金、ダイヤモンド、奴隷、ワインなどがあるが、この中で唯一ポルトガル国内で生産されていたものがワインだ。このワイン貿易がうまくいったのは、ポルトガル産ワインの質が高かったからではないそうだ。
ポルトガルのワイン貿易の取引先はイギリスだった。イギリスとの間には1703年にメシュエン条約という名の通商条約が結ばれ、ポルトガルのワインをいつ何時でも優遇するという承認がイギリスのアン女王によってなされている。イギリスがポルトガルのワインを優遇したのは、フランスとの不安定な関係のためであり、イギリス人もできればボルドー産の質の高いをワインを取り寄せたかった。ボルドーワインの代替として、スペイン産よりも「まし」なポルトガル産ワインが選ばれた。具体的にはフランス産ワインに比べて、ポルトガル産ワインは3分の1の関税で済んだ。
イギリスへのワイン輸出の中心となったのがポルトであるが、そこで実際にワインを生産していたのは、資金も豊富なイギリス人だった。そこで生産されたワインにイギリス人がブランデーを混ぜ始めたのが「ポートワイン」の始まりであり、利益は大幅に増加した。地震後の復興計画で有名なポンバル候は、ポルトガル産のブランデーを使用するように圧力をかけたが、イギリス人はフランス産のブランデーを使用していた。
ポルトガルの栄光の時代は常に胡椒、砂糖、金、ダイヤモンドなど、原料の輸出によるものであり、国内の産業は他のヨーロッパ諸国に大きな遅れをとっていた。国内で作られるワインでさえもイギリス人の手によるものであったことが、そのことを物語っている。ポルトガルの植民地であるブラジルにおいてさえ、ブラジルが金で潤い出すと、母国ポルトガルの製品より品質の高いイギリス製品が好まれた。
11 November 2006
ポルトガルの歴史
最近、『ポルトガルの歴史』という本を読んでいる。デビッド・バーミンガムというイギリス人の著作の邦訳版なのだが、日本から持ってきていたにもかかわらず、今までほとんど読まずにいた。ポルトガルに住むからには、国のおおまかな歴史くらいは知っておいた方がいいんじゃないだろうか。それくらいの軽い気持ちでアマゾンで注文した本だった。
本をねかせること1年半、ようやく僕にもポルトガルの歴史を知りたいという欲求が湧いてきたようだ。ポルトガルがスペインから独立するのにかかった年数に比べれば、まあ大した年数ではない。本の3分の1、17世紀末まで読み終えたところだが、意外だったなと思う部分も結構ある。それだけ僕がポルトガルのことを知らなかったというだけのことではあるけれど。
「レコンキスタ」と呼ばれるキリスト教徒によるイスラム勢力からの国土奪回は、同時にポルトガルとカスティリャの覇権争いでもあり(カスティリャの方が圧倒的に巨大であったが)、ポルトガルのアルガルヴェ征服が両国間の大きな摩擦となった。
1581年のスペインによるポルトガル「併合」は、ポルトガル人にとって必ずしも屈辱的なものではなく、政治の上層部には永年のイベリア半島独立の夢がかなったという思いもかなりあった。それは先のポルトガルのアルガルヴェ征服以来、カスティリャとの国境紛争に終止符が打たれたことを意味したし、ポルトガルの貴族たちは小国ポルトガルに留まらず、カスティリャの華やかな宮廷文化に身を置くことが可能になった。商人はブラジルだけでなく、スペイン領の南米植民地でも活動ができるようになった。あの愛国詩人カモンイスでさえ、自分はスペイン人だと認識した。
貴族やリスボンの中産階級の多くがポルトガルの独立に消極的な中、独立を支援したのはスペインで創設されたイエズス会だった。
大航海時代という繁栄の時代はあったものの、ポルトガルは常にヨーロッパの小国であり、スペインやイギリス、オランダ等の強国との関係に苦労を強いられてきた。海外に目を向け、貿易こそが富を生むと信じ、国内産業の強化という長期的展望が欠けていたために、結果として常に輸入超過に陥っていた。
つづく。
10 November 2006
部下は外国人
こちらへ来て1年半、ようやく僕の担当プロジェクトなるものが今週から始まった。アレンテージョ地方のモンテモール・オ・ノヴォという町に週末住宅を作るプロジェクト。ある意味でクライアントよりも重要なボスのファースト・インスピレーションを形にしていくというアトリエ独特の設計手法を踏むわけだけれど、これはなかなかおもしろい。ジョアン・ルイスから最初にアイディアを伝えられた時は、何かおもしろくなりそうだ、と予感に満ちていたが、1週間エスキースを続けた後、それが確信に変わりつつある。
そして今は研修で事務所に来ているポルトガル人の学生に模型を作ってもらっているわけだが、考えてみれば部下が外国人というのはなかなかない体験のような気がする。上司が外国人とか、彼女が外国人とかはよくある話だけれど、部下が外国人というのは珍しい体験なのではないだろうか。
「もう僕は帰るけど、7時半過ぎたし、適当な時間に帰っていいよ」
こちらへ来たばかりの頃は、すぐに帰りやがるなポルトガル人、なんて思っていた自分が、まさかポルトガル人に向かってこんな台詞を口にするなんて、、、。
建築とヌード
もう2週間近く経つけれど、1週間のアズレージョ取材が終了した。編集長、カメラマン、建築家の3名をお連れして、かなり詰め込んだ予定で7日間取材したのだが、正直4日目くらいで息切れしていた。最後の方は編集長とカメラマンがアングルを決めているのを横に見ながら、僕はどっかりと、もう立ち上がれないくらいの感じでソファに沈んでいた。ある意味で、僕はただただコーディネーターに徹していた。取材の合間の車中では、4人のうち2人は必ず寝ているという有様だった。取材をしていれば、すんなりといかない事も何度があったけれど、概ねうまい具合に進んだし、役割は果たしたんではないだろうか。おまけにアズレージョの良さがよく分かったし、取材じゃなければ訪ねることができないような場所にも入ることができて、個人的にもとてもおもしろかった。コーディネーターに徹するという意味でも、僕自身は取材先で1枚も写真を撮らなかったので残念ながらここでそれらの写真を見せることはできないのだけれども。仕上がりは来年1月下旬発売の、「iA」Vol.4(エクスナレッジ)という雑誌をご覧下さい。まだ新しい季刊のインテリア雑誌ですが、Vol.1では建築と女の子のヌードがマッチングしたグラビアが出たりして、ちょっと話題(?)の雑誌です。Turismo de Lisboaには本当に感謝。
備忘録も兼ねて、取材した場所一覧:
Pestana Palace
Oceanario de Lisboa
Fundacao Ricardo Espirito Santo
Palacio Belmonte
Igreja Sao Roque
Solar
Cervejaria Trindade
Museu Nacional do Azulejo
Palacio Marqueses de Fronteira
Quinta dos Azulejos
Metropolitano de Lisboa
Fabrica Viuva Lamego (Sintra)
Quinta da Bacalhoa (Azeitao)
Igreja Sao Filipe (Setubal)
Igreja Jesus (Setubal)
Palacio Nacional de Sintra (Sintra)
Palacio Marques de Pombal (Oeiras)
Estacao Sao Bento (Porto)
Metro do Porto (Porto)
Igreja Santa Catarina (Porto)
