28 February 2007

ティト・パリスがやって来る


僕の事務所は、B.LEZAの近くにあって、通りにはそのスケジュールや特別ライブを告知するポスターがたくさん貼ってあるのだけれど、去年12月のティト・パリスのポスターが今でも貼ったままになっている。しまった、行きそびれた、と今年の1月くらいに初めてそのポスターを見たときは思っていた。

今日、事務所からの帰り道、いつものようにB.LEZAの前を通りかかると、例の12月のポスターと構図は同じだけれど、それよりもティトの顔が若干大きく写っているポスターが目に入った(この顔が大きくなったら見逃すはずがない)。もしかして、またやるのか(ティトは実はB.LEZAのオーナーでもある)、と思って日付を見ると、3月12日! その頃にはコンペも終了して、余裕があるだろうから絶対に行こう。しかも、帰宅してB.LEZAのウェブサイト(http://www.blogdibleza.blogspot.com/)を見ていると、その3日後の3月15日には、Boy Ge Mendesのライブもある!fnacで視聴を重ねて僕が気に入った2人のカボ・ヴェルデアノが来月、立て続けにやってくるのだ。

今これだけ興奮していても、そのうちその熱は何かに追いやられてしまうかもしれない。でも、ここにポスターを貼っておけば忘れることはないだろう。「この顔見たら、B.LEZAへ」、という具合に。

25 February 2007

仕事から逃げる言い訳

今月はこれまで休みが一日しか取れていない。今週末も出勤。でも、この状態はコンペを提出し終わるまで続くだろうな。3月8日まで、まだ2週間くらいあるよ、、、。

そんな中、僕を事務所から救い出してくれたのが、キュレーター兼エディターのてらださん。横浜に新しい建築スクールをスタートさせるために現在ヨーロッパ視察中の彼女は、リスボンにも足を延ばしていた。ARXのジョゼ・マテウスとともに事務所にいらっしゃったてらださんに事務所の案内をする(最近、日本の建築関係者は決まってジョゼ・マテウスを通してうちにやってくる)。その後、ジョアン・ルイスとイネシュ・ロボと4人で夕食へ。僕がポルトガル人ならば、滅茶苦茶緊張したに違いないこの夕食会は、コンペ中の事務所から抜け出す絶好の言い訳となった。しかも、レストランはビカ・ド・サパト。ビ・カ・ド・サ・パ・ト。テージョ川沿いに位置するこのレストランのすぐそばには、時々客船や貨物船が停泊しているのだけれど、天井高6、7メートルはあるレストランの窓は、その夜、鮮やかな緑色の船体で覆われていた。僕は(おそらくてらださんも)かなり頭がぼおっとしていたけれど、久しぶりのおいしい食事にありつき、しかも瞼が閉じそうになりながらも話し続けるパワフルなてらださんに触発されて、元気になった。

20 February 2007

ヴェントゥーラ・トリンダーデ


『POLIS』展の会場構成を手がけたヴェントゥーラ・トリンダーデ・アルキテトス(Ventura Trindade Arquitectos)の代表作、Quinta em Evora。既存建物の屋根をスパッと切り取って、ランダムに箱が連なりあったようなヴォリュームの四方をすっぽりと取り囲む。それによって箱と箱の間にもともと外部であった残余空間ができ、そこがパティオになっている。このプロジェクトは以前から知っていて、写真を見ながらいいなあ、と思っていたのだけれど、「建築許可申請の過程の大部分は解体の手続きだった」という解説文を読んで、そうか、これもいわゆる「減築」というやつだな、と納得。

(プロジェクトの詳細: http://www.europaconcorsi.com/db/pub/scheda.php?id=15097、写真も同サイトより。)

19 February 2007

POLISとゴンサロ・ビルネ

昨日は2月に入って初めての休日。事務所でキプロス共和国、ニコシアの国際コンペをやっているため、これまで2週連続で週末も仕事をしていた。このコンペ、作業は、飛ばしに飛ばしている。プログラムにオーディトリアムが入っていて、常に音響エンジニアと協働していかなければならないというのもあるが、何と言っても提出物に「3分間のムービー」があるからだ。提出は3月5日だが、設計はすでにほとんど終わっていると言っていい。少なくとも、ムービーを作るのには十分なくらい。ムービーは外注だけれど、2週間前から作業している。

そういうわけで久しぶりの休日となった昨日、行きたかった展覧会を2つ見て来た。エキスポのポルトガル・パヴィリオンで最近始まったばかりの『VIVER AS CIDADES Programa POLIS』展と、ベレンのCCBで、来週終了する『ゴンサロ・ビルネ Geografias Vivas』展。リスボンを端から端まで移動して見て来た2つの展覧会だが、前者はいまいち、後者は期待を上回った。

「POLIS」というのは、簡単に言えば、欧州委員会からの補助金で、EU各国の都市再生を行うプロジェクトだが、ポルトガルでは2000年から始まっている。その成果を報告する展覧会だ。第1回リスボン建築トリエンナーレの「前座」となる展覧会でもある。ポルトガル・パヴィリオンで行われているこの展覧会、普段は中に入ることができないこの建物の中に入ることができるので、それだけでも行く価値がある。展示物に関して言えば、プロジェクトの数こそ多いものの、それぞれのプロジェクトの説明が少なく、分かりづらかった。確か、ポルタレグレのPOLISは竣工しているものもかなりあったと思うから、そういうものを重点的に見せてほしかったな。でも、会場構成はなかなかいいし、しかも何か「匂う」、と思っていたら、うちの事務所出身のジョアン・トリンダーデによるものだった。会場構成についての説明があり、その中で彼は、このポルトガル・パヴィリオンの構成を「現代のパラシオ」と評していたが、それにはなるほどと思った。ポルトガル・パヴィリオンはパヴィリオンとして使われてこそ真価を発揮しているようだが、あの大屋根の下をうまく使えるかがミソだな、とも思った。その点、ジョアンはうまくやっているようだった。

『ゴンサロ・ビルネ』展は、これは終わる前に行っておいて良かったと思った。6つのプロジェクトを、それぞれ2種類のスケールの模型と、簡単なテキストでプレゼンテーションしていたが、これがとても分かりやすかった。よくもあれだけ大きな模型をいくつも作ったな、と単純に仕事量にも関心する。ベルギー、ルーベンの線路際のプロジェクトが一番好きだったかな。線路に対してボリュームが開いているのに共感が持てた。ファティマのプロジェクトは竣工したらぜひ見に行きたいと思った。

16 February 2007

われら、リスボン派

例の「世界的に有名な日本の建築雑誌」、略して「a+u」にカヒーリョの作品が載るようだ(「a+u」のウェブサイトには既に次々号予告が出ている)。若手特集だったのだけれど、詳細は後ほど。

スペインの建築雑誌「2G N.20 Portuguese Architecture -a new generation-」を改めて眺めていた。というのも、ここではnew generationをどういう風に紹介していたのか気になったからだ。冒頭のテキストではこの「new generation」の前に4つの世代があったと書かれている。マヌエル・タイーニャ(1922)とフェルナンド・タヴォラ(1923)の世代、ヴィトール・フィゲイレド(1929)とアルヴァロ・シザ(1933)の世代、ゴンサロ・ビルネ(1941)の世代、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(1952)とジョアン・ルイス・カヒーリョ・ダ・グラサ(1952)の世代、となっている(括弧内は生年)。タヴォラ、シザ、ソウト、と「ポルトの系譜」なるものが存在するのは良く知られており、また彼らの建築作品も雑誌等でよく紹介されてきたが、それ以外の建築家はそれほどでもない(正直に言えば、ヴィトール・フィゲイレドという建築家のことを僕は全く知らない)。タイーニャやビルネ、カヒーリョといったリスボンの建築家たちは彼らに比べれば海外での知名度はそれほど高くない。ポルトガルで1974年まで続いた独裁体制が、首都リスボンの建築界を萎縮させていたことももちろん関係があるだろう。TOTO出版の『ヨーロッパ建築案内 1』のポルトガル第1ページ目を、「あの」建築作品が飾っていることをポルトガル人が知ったら、失望してしまうに違いない(そしてそのガイドブックを手にやってくる建築学生はリスボンにがっかりする、あるいはガイドブックを見てリスボンをはずしてポルトへ行く)。

しかし、この「new generation」として登場する建築家の経歴を見ると、リスボンとポルトの建築家の割合は半々だ。それにコインブラのジョアン・メンデス・ヒベイロやマデイラのパウロ・ダビッドなどの建築家が加わり、ポルトガルの建築界は多様性を持ち始めている。今をときめくマヌエル・アイレス・マテウスやイネス・ロボがリスボンの大学を卒業し、それぞれビルネ、カヒーリョのもとで働いていたことを考えれば、国外に知れることはなくとも(日本の建築学生が奇妙なショッピング・センターを訪れている間にも)、リスボンの建築界はとっくに息を吹き返し、新たな潮流を生み続けていたことになる。

07 February 2007

中絶が違法である国

今週末、ポルトガルでは中絶をめぐる国民投票が行われる。ポルトガルでは現在、人工妊娠中絶が法律で禁止されている。ポルトガルではこれまで何度か法改正が試みられてきたそうだが、現在まで違法である。全ての女性、そして男性が直面する可能性のあるテーマであるだけに、連日、ポルトガルのメディア、そしてレストランはこの話題で賑わっている。

ポルトガルでも、レイプ、妊婦の生命に危険がある場合などは、中絶が認められている。今回国民にその是非が問われるのは、「妊娠10週以内の人工妊娠中絶を合法とするかどうか」、である。ポルトガルがカトリック教色の濃い国であることが、中絶を違法としていることに影響していることは疑いようのない事実だけれど、その観点からのみこの問題が扱われているわけではもちろんない。むしろ、今回の法改正案に「ノー」の立場の人でさえ、中絶した人への偏見はなくすべきである、という意見を持ち合わせている場合が多い。「自由な中絶」に反対することが「密やかに行われる中絶」につながることは、彼らの望むところではない。いずれの立場も、妊娠した女性を守る医療環境の充実を求めている点では一致している。数多くの女性がポルトガルからスペインへ中絶の治療、手術を受けに行くのは、スペインが中絶を合法化しているためだけではない。

「ノー」の立場の人が危惧することの一つに、合法化後、中絶する女性の数が爆発的に増加することである。これは多くの国で中絶合法化に踏み切った後に見られた傾向である。あくまで中絶は違法だが、例外事項で対処し、現状にあった法律にすることができると考える人もいるようだ。

「PUBLICO」が今年1月12日に行った世論調査によれば、今回の法改正に賛成の人は67%、反対は33%である。ジョゼ・ソクラテス首相は、今回の国民投票で反対意見が上回れば、法改正は行わない、と確約している。

02 February 2007

ポルトガル剣道記 3

約1ヵ月ぶりの練習参加。久しぶりだったけれど、やはり前回よりは動きが良くなった。オオサカ先生、今日は練習の大半を「切り返し」にあてられていた。練習後のコメントではよく「切り返し」の重要性を説かれている。ポルトガル人の多くは「切り返し」はただのウォーミングアップくらいに思っているようだ。こんなことをここで書いても仕方がないけれど、「残心」をきっちりやる人は皆無に等しい。

本当は、僕もできるだけ多く練習に参加して、いろいろとコメントしてあげたいと思う。でも、夜7時からの練習に毎回参加するのはほとんど不可能だ。練習の始めから参加するには6時半には事務所を出ないといけないし、それを週に3回もやるわけにはいかない。コンペの締め切りが近くなれば、遅れての参加さえも不可能だ。

今日は「地稽古(試合形式の練習)」を2本やったけれど、徐々に調子が出てきて、もっと練習をやりたくなってきた。リスボンの道場では先輩格のジョアキンをバシッ、バシッ、バシッとやったのだけれど、僕は彼がポルトガル人であることを忘れていた。練習後、彼の機嫌が良くなかったのは、シャワーのお湯が出なかっただけではないような気がする。「良い週末を」と僕が別れの挨拶をしても、彼は僕の方を振り向かずに、不機嫌そうに返事をした。

Trienal de Arquitectura de Lisboa


リスボン建築トリエンナーレ、Trienal de Arquitectura de Lisboaが、今年の5月31日から7月31日まで開催されます。第一回です。ちらほらと以前から噂は聞いていたけれど、知らぬ間にウェブサイトがオープンしていました(http://www.trienaldelisboa.com/)。テーマは「vazios urbanos(urban voids)」、1998年のリスボン万博に合わせて建設された、シザ・ヴィエイラ設計のポルトガル・パヴィリオンが会場。展覧会やカンファレンス、コンペなど様々なイベントが催されるようです。ウェブサイトは英語版を始めとして、未だ「準備中」のものが多いですが、徐々に概要が明らかになっていくでしょう。リスボンやポルトを中心として、インターナショナルなイベントが続々と開催されているポルトガルですが、このトリエンナーレはポルトガルの建築を全世界にアピールする場となるでしょう。

(写真:リスボンのポルトガル・パヴィリオン。Trienal de Arquitectura de Lisboaのウェブサイト http://www.trienaldelisboa.com/ より。)