16 February 2007

われら、リスボン派

例の「世界的に有名な日本の建築雑誌」、略して「a+u」にカヒーリョの作品が載るようだ(「a+u」のウェブサイトには既に次々号予告が出ている)。若手特集だったのだけれど、詳細は後ほど。

スペインの建築雑誌「2G N.20 Portuguese Architecture -a new generation-」を改めて眺めていた。というのも、ここではnew generationをどういう風に紹介していたのか気になったからだ。冒頭のテキストではこの「new generation」の前に4つの世代があったと書かれている。マヌエル・タイーニャ(1922)とフェルナンド・タヴォラ(1923)の世代、ヴィトール・フィゲイレド(1929)とアルヴァロ・シザ(1933)の世代、ゴンサロ・ビルネ(1941)の世代、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(1952)とジョアン・ルイス・カヒーリョ・ダ・グラサ(1952)の世代、となっている(括弧内は生年)。タヴォラ、シザ、ソウト、と「ポルトの系譜」なるものが存在するのは良く知られており、また彼らの建築作品も雑誌等でよく紹介されてきたが、それ以外の建築家はそれほどでもない(正直に言えば、ヴィトール・フィゲイレドという建築家のことを僕は全く知らない)。タイーニャやビルネ、カヒーリョといったリスボンの建築家たちは彼らに比べれば海外での知名度はそれほど高くない。ポルトガルで1974年まで続いた独裁体制が、首都リスボンの建築界を萎縮させていたことももちろん関係があるだろう。TOTO出版の『ヨーロッパ建築案内 1』のポルトガル第1ページ目を、「あの」建築作品が飾っていることをポルトガル人が知ったら、失望してしまうに違いない(そしてそのガイドブックを手にやってくる建築学生はリスボンにがっかりする、あるいはガイドブックを見てリスボンをはずしてポルトへ行く)。

しかし、この「new generation」として登場する建築家の経歴を見ると、リスボンとポルトの建築家の割合は半々だ。それにコインブラのジョアン・メンデス・ヒベイロやマデイラのパウロ・ダビッドなどの建築家が加わり、ポルトガルの建築界は多様性を持ち始めている。今をときめくマヌエル・アイレス・マテウスやイネス・ロボがリスボンの大学を卒業し、それぞれビルネ、カヒーリョのもとで働いていたことを考えれば、国外に知れることはなくとも(日本の建築学生が奇妙なショッピング・センターを訪れている間にも)、リスボンの建築界はとっくに息を吹き返し、新たな潮流を生み続けていたことになる。