31 July 2006

GALP社の言い分

ガスを持ってきてもらおうと思い、GALPに電話する。が、しばらくお待ちください、を言い回しを幾通りも変えて繰り返す自動音声が流れ続ける。ようやくつながって、ガスを持ってきてください、とお願いすると、freguesiaを教えてください、と言われる。どのfreguesiaか分かりません、というと、どの辺にお住まいですか、と聞き返される。アヴェニーダ地区です、と言うと、じゃあグラサ支部にお電話を、と電話番号を教えられる。

グラサ支部に電話して、ガスを持ってきてください、とお願いする。顧客番号は?と聞かれたので、そんなものありません、と答える。住所はどこですか?と聞かれたので住所を教えると、それはうちの担当地区ではありません、と言われる。じゃあどこに電話をすればいいんですか?と聞くと、知りません、という答えが返ってくる。電話の向こうで肩をすくめているのが分かる。どうもありがとう。どう致しまして。

これは自分のfreguesiaを何とか調べて電話しないと埒があかない。VISA申請時に用意した書類の一つに書いてあったのを思い出し、その書類をファイルから引っぱりだしてfreguesiaを確認する。

もう一度GALPのコールセンターに電話をかける。ガスをお願いしたいのですが、どこに電話をかければいいのでしょう?fereguesiaは?しめたとばかりにfreguesiaを答える。少々お待ちください。しばらく待った後、電話番号を教えてもらう。どうもありがとう。どう致しまして。

サン・ジョゼ支部に電話をかけ、ガスを持ってきてください、とお願いする。顧客番号は?と聞かれる前に、これが初めてです、と付け加える。住所を教え、ついでにアダプターがないのでアダプターも持ってきてくださいとお願いする。他に必要なものはありますか?いいえ、これで全部です。では、明日の午前中お持ちします、と言われたので、え、明日ですか?と聞き返すと、ええ、明日です。朝早くからやってますよ、何時までご自宅にいらっしゃいますか?9時までいます。じゃあ、9時にお持ちしますよ。分かりました、どうもありがとう。どう致しまして。

これでようやく自分の部屋で料理ができそうだ。

30 July 2006

パタニスカス伝来

「Santos Design District」と銘打たれたサントス地区には、建築、ランドスケープデザインの事務所、家具、インテリア関係のショップが多く集まる。僕が働く事務所もそこにあるわけだが、このサントス地区にはおいしいレストランも多い。サントス周辺のレストランが、僕のポルトガル料理に対するイメージをいいものにしていると言っていい。「ポルトガルで食べる牛肉はおいしくない」という発言を撤回せざるを得なくなったのも、ここサントスでの話だ。

昼休みのたっぷりあるポルトガルにおいて、昼食は大きな楽しみだ。午後1時半になると、事務所の仲間4、5人とレストランに出かける。魚料理から肉料理まで日々いろいろなものを食べているわけだが、最近僕がはまっているのが、パタニスカスだ。これが日本の「さつま揚げ」と全くと言っていいほど同じだ。パタニスカスを初めて目にした時、あまりにも外見がそっくりなので「あっ」と声が出そうになった。さつま揚げに負けず劣らず素朴なおいしさで、パタニスカスの方が魚の存在感大だ。たいていフェイジョアーダやリゾットが横に添えられて出てくるが、このコンビネーションもなかなかいい。

ところでこのパタニスカスとさつま揚げの関係は大いに気になるところだ。そもそも「さつま揚げ」が「薩摩」出身なのかどうか知らないが、もしそうであれば僕は「パタニスカス」がポルトガルから日本へ伝わった数多くのものの一つなのではないかと踏んでいる。何しろ九州にはそういう食べ物が多い。博多の鶏卵そうめんや長崎のカステラは有名な話だが、佐賀県にも「北島の丸ぼうろ」がある。この「ぼうろ」は(確かめたわけではないが)明らかにポルトガル語の「bolo、ケーキ」から来ている。丸いケーキというわけだ。だから、「さつま揚げ」が九州薩摩で盛んに食されていたのであれば、ポルトガル人が鉄砲やキリスト教とともにパタニスカスを伝えたのかもしれない。

僕がゴンサロに説明すると、絶対それポルトガルからだぜー、と言って満足そうな笑みを彼は浮かべた。たまにこういう話をすることが、ポルトガル人とうまく付き合っていく秘訣でもある。

24 July 2006

レイリア小旅行



今週末の土曜日にレイリアに日帰り旅行をしてきた。片道2時間、滞在3時間のショートトリップだった。旅行の目的は、事務所が設計した住居・店舗のコンプレックスとレイリア城を訪ねることだった。レイリアという町については日本のガイドブックに載っていないこともあり、全く情報がなかった。ポルトガルのちょうど真ん中に位置しており交通の要所であるらしいことは想像できる。

リスボンのセテ・リオスからバスで2時間、レイリアの町が見えてくる。まず真っ先に目に入るのが丘の上にそびえるレイリア城だ。ヨーロッパの町ならではの、文字通り「町へ入る」という感覚を持つことができる。この「入り方」はとても重要だ。それで町の第一印象が決まる。レイリアの場合はそれが良かった。丘の上の城を中心になだらかな斜面に街並みが形成されている。

町の中心のバスターミナル近くで、例の事務所が設計したコンプレックスが突然現れる。Electaから出版されている事務所の作品集を見ながらずっと訪ねてみたいと思っていた建物だ。既存の建物の背後に街区の形を縁取りながら新築部分が付加されている。このコンプレックス自体はそれほど大きなものではない。既存部分に住居機能、既存部分の1階を含め、新築部分1、2階にZARA、地階にNIKE、レストラン、映画館、そして駐車場というプログラムだ。この「程よい」規模がレイリアという小さな町のスケールに合っている印象を受ける。

意匠的には、既存建物の軒高をそのまま延長して付加された新築部分のボリュームが興味深い。それを強調するようにスラブ厚を見せた屋根がかかっている。この、カードボードで作った模型のような印象を受けるのが事務所の作品の特徴で、引き合いにスペインの彫刻家デ・オテイサの作品が出されることもある。街区で言うと既存建物とちょうど反対側にあたる部分はサンクン・ガーデンになっており、レストランと映画館のエントランスがある。そこへ地上レベルからスロープが伸びていて、新築部分のボリュームを縁取るように鉄板の手すりが並行している。

このコンプレックスを堪能した後、レイリア城を目指して丘を上る。シントラの場合と違って、10分足らずで城門に到着する。このレイリア城もまた「程よい」感じだ。敷地内をぐるぐると歩き回らされることもない。日陰のバルコニーで休憩していると汗が引いていくのを感じ、それが心地よい。そこから眺めるレイリアの町は緑が多く、屋根がきれいだった。

バスターミナル近くのバーでビールを飲み、リスボン行きのバスに乗り込む。程よい疲労にビールが効いて、帰りのバスでぐっすりと眠った。

16 July 2006

夕涼み


今日はとにかく暑かった。太陽も沈み、涼しくなりかけた頃にアモレイラスの方に散歩を兼ねて買い物に出かけた。

リベルダーデ大通りを北上し、ロータリーの一つ手前の通りを左に折れてラト方面へ向かう。ラトの地下鉄駅のある広場に着いて右折し、水道局に面した公園のある通りを上がっていきショッピングセンターに辿り着く。この散歩がなかなか良かった。中でも途中に通った水道局前の公園(名前まではチェックして来なかった)が良かった。この水道局というのは歴史的建造物であり、建物から昔ながらの水道橋が伸びている。この水道橋が公園を縁取るように通過していて、公園内も木が生い茂り、かなり落ち着ける雰囲気だ。夜も外灯が点いてそれぞれのベンチで人々が思い思いに過ごしている。この公園の横を通過するラトの広場から伸びる通りにも、途中におそらく水道局関連のものと思われる立派な門があり、歩いていて気分が高まる。高い塀で囲まれた水道局の敷地内にも木が生い茂り、夕焼けの空を印象付けていた。

ショッピングセンターで延長コードと火の玉のような形をした赤い照明を買って帰った。届いたばかりの冷蔵庫で氷を作っていたのを思い出し、ついでにマルティーニを買って帰る。

ショッピングセンターを出る頃はもう深夜近くだったが、途中、まだ営業しているカフェを見つける。本を持って今度出かけてみよう。そう言えば、運良くレンタルビデオ屋も見つけた。

アヴェニーダにまで戻ってきたところでシネマテカの方へ足を延ばし、上映スケジュールを確かめる。来週は日本映画も上映されるようなので仕事の後にでも行ってみよう。

部屋が整い、近所を知るにつれ、徐々に生活のリズムが出てきた感じだ。ついでに、「夏を楽しもう」という気分にもなってきた。

15 July 2006

冷蔵庫が届く

アヴェニーダのこちらの家に引っ越してから2ヵ月半が経つ。その間日本に3週間帰国していたため、実際に住んだ期間は2ヶ月弱になるが、今のところ僕は同僚でもある同居人のマリアにいろいろなものを借りて生活している。部屋自体はバス・トイレ、キッチン付きの2階部分をまるまる貸してもらっているため独立性は高い。けれども、こちらへ引っ越す以前も間借りをしていたためテレビや冷蔵庫といった家電を何も持ち合わせていなかった。だから食事やちょっと飲み物を取りに行く際にもその都度1階へ下りて行かねばならず、テレビがないため世の中の情報に取り残されることもしばしばだった。

だから最近僕は家電を買いまくっている。テレビ、冷蔵庫、電気ポット、ホットサンド用プレート、という風に。それで唯一配達を頼んでいた冷蔵庫が今日ようやく届いた。こういう大きな家電が届くといろいろと部屋の配置も変更を迫られ、コンセントの数・位置を考慮してあれこれと知恵を絞らなければならない。でもこういうのは楽しい。少なくとも僕にとってはビーチに行って日光浴をするより楽しいもののような気がする。それ以外にも今日は浴室にシャワー用のカーテンを取り付けたので、一度に部屋がバージョンアップしたような気がする。

それにしてもリスボンは今異常に暑い。紫外線の量も多いようで、ますますビーチに行く気をなくす。リスボンの夏の日射はちょっと油断ならない。肌を焼こうなどと思うと大変なことになる。あまりの暑さに僕はすでに頭痛がしている。今日届いた冷蔵庫に頭を突っ込んで見たが、そうやって一日中過ごすことは不可能なことは明らかなので、仕方なく冷蔵庫のドアを閉める。

09 July 2006

ロナウドへのブーイング

3位決定戦を見た。両チームとも主力が出場しなかったり、選手のモチベーションも上がりにくいだろうから特に見る必要もないかな、と思ったけれど見ることにした。w杯の常連でもないポルトガルがベスト4まで勝ち上がり、せっかく手にした3位決定戦なので見ようと思った。

試合は3-1でドイツが勝ったが、ポルトガルはこれまで通り中盤でパスを回して試合を組み立て、観戦に来ていた人を楽しませた。同時にここまで隠れていた欠点が噴出し、結果に結びついた試合でもあった。中盤にいい選手が集まる一方、守備陣とワントップに問題があるなと常々思っていた。予選リーグのイラン戦においてさえも守備陣が完全にマークを外され、あわや、となる場面があった。メキシコ戦も勝つには勝ったが、その気になれば点は取れるぞという攻撃をメキシコにされた。オランダ戦は言うに及ばず猛攻を受けた。イングランド戦は相手の主力2人が交代、あるいは退場するという幸運に恵まれ、イングランドは攻める術を持たなかった。ポルトガルはパスを回して、ボールをキープして攻めることで相手の攻撃の機会を減らしていたといえる。だからこそ、パウレタの絶不調が響き、苦しい試合が続き、フランスにも敗れた。ほとんど出場機会のなかったヌノ・ゴメスが3点をリードされたドイツ戦の後半終了間際に豪快なヘディングシュートを決めたものの、今回のポルトガル代表には切り札となるストライカーがいなかった。こんな状況だからよくここまで勝ち上がってきたと思う。

ところで試合中ロナウドへのブーイングの酷さが気にかかった。フランス戦でもかなりのブーイングを受けていたが、もちろんその原因はイングランド戦のルーニーの退場に発端がある。ルーニーの退場後ベンチへ向かってウインクをしたのは確かに必要がなかっただろうけれど、股間を意図的に踏みつけて相手を続行不能にしようとするような選手は退場して当然だ。しかも同じ手に何度も乗ってしまうイングランドはそれを反省すべきに決まっている。だからこそロナウドには、ポルトガルをただの海水浴場としか思っていない人々の鼻をへし折るゴールを決めてほしかった。

08 July 2006

甘い汁を吸う土曜日

昨日、突然僕のノートパソコンが家のルーターを通してインターネットにつながった。文字通り「波長」が合ったようだ。ケーブルを直接つなげば何の問題もなくインターネットに接続できるのだが、やはりワイアレスLANとなると「日本国内向けのパソコン」ということは電波の送受信という点であながち無視できない要因かもしれない。でも本当のところはよく分からない。

それで久しぶりにインターネットでだらだらといろんな記事を読んだりしていたら、あっという間に午前4時くらいになっていた。そして今日午前11時くらいに起きてからも相変わらずインターネットを見ている。それにしても今日はのんびりとしている。記事を読みながら、昨日スーパーで買ったメロンをまるまる1個平らげてしまうくらいに。

引っ越してから僕の部屋にはテレビがないから、これからシャワーを浴びてテレビを買いに行こう。冷蔵庫も安いものがあれば買って来よう。ただ冷蔵庫はあまり小さすぎないことが条件だ。冷蔵庫があまりにも小さいとどこか惨めな感じがするから。

07 July 2006

はい負けたー


僕がポルトガル人じゃないということもあるのだろうけれど、試合後、負けても何の感情も湧き上がってこないさっぱりとした負けだった。ポルトガルも頑張っていたんだが、自力の差があった。前日のドイツ-イタリア戦同様に。本当に強い2チームが決勝に進んだのではないだろうか。

試合開始前、ちょっとした緊張感を心に秘めつつも、顔を見合わせたら思わず微笑みあう、そういう雰囲気が町中にありそれが何だか良かった。普段はサッカーに興味のない同居人のマリアも、この日ばかりは落ち着いていられないようだった。そして事務所では誰もが専門家になり意見を言い合い、それも微笑ましかった。

でも、優勝パレード見たかったなぁ。負けても車のクラクションが鳴り止まないリベルダーデ大通りを歩いていると、一層その思いが強まった。ポルトガル人じゃないけれど、やっぱりちょっと悔しい。

03 July 2006

世界へのトビラは開かれている

聞くところによると、リスボンにもいくつか剣道場があるらしい。そして先週の金曜日、MYBさんの同僚ジウベルトにグラサにある剣道場に連れて行ってもらった。日本への留学経験があるジウベルトは、そのときにすっかり剣道に魅せられたようだ。腰に「胴」をつけたまま空港のゲートを抜け、日本からポルトガルへ剣道具を持ち帰った。今でも週2、3回練習に参加しているらしい。(ちなみに僕は手荷物で防具まるごとを飛行機に持ち込んだ。竹刀は一応「刀」なんで預けておいた。)

あいにくその日は練習が休みで、参加できなかったけれど、ジウベルトからリスボンの剣道場のウェブサイトがあることを聞き、後でのぞいてみた。グーグル検索ですぐに見つかったのだが、このウェブサイトはAssociação Portuguesa de Kendo、ポルトガル剣道協会という団体によって運営されているらしい。そのサイトを見ていくと、ポルトガルにはポルト、コインブラ、リスボン、アレンテージョの4つの剣道協会支部があることが分かる。リスボンとポルトはオオサカという6段の日本人の先生が指導されているようだ。練習は月水金の週3回、19時から20時半までと書いてある。さらに見ていくと、Rankingなるものがある。何だろうと思ってクリックすると、協会に登録された選手のランキング表だ。ポルトトーナメント、コインブラトーナメント、リスボントーナメント、そしてポルトガル選手権の4大大会の成績をポイント化し、その合計でランキングを出しているらしい。そしてこのランキングが代表選考に用いられる。「国内選手権及び代表チームに関する内部規則」という資料に代表選考の過程が書いてある。主な内容はこうだ。

・年に4回行われる国内大会の成績でランキングを付ける。
・ポルト、コインブラ、リスボンの各トーナメントよりも、1年の最後、11月に行われるポルトガル選手権のポイントが高い。
・4大大会終了後のランキング上位1位、2位は自動的に代表当確となる。
・3位から12位の選手間で総当り戦のプレーオフを行い、上位4人が代表に選ばれ、先の2名とともに計6名の代表選手が決定する。
・代表選手は、ヨーロッパ選手権、世界選手権にポルトガルを代表して参加する。
・国内大会に参加できるものはポルトガル剣道協会会員に限る。

と、かなり明確な選考過程が記されている。そして注目すべきは、どこにも、国籍はポルトガル人に限る、などと書いていないことだ。つまり会員になりさえすれば、僕だってポルトガル代表、セレソンになってユーロに参加できる可能性があるということだ。

うん、これはドキドキしてきた。

01 July 2006

世界で4カ国しか味わえない


ポルトガル、勝った!!

MYB夫妻と劇場の集まるパルケ・マイヤーで観戦。どこで見ましょうかねぇ、とぎりぎりまで話していた末に偶然見つけたパブリック・ビューイング会場だったが、これがなかなかいい雰囲気だった。どれくらいの人数がいたのかはちょっと見当がつかないけれど、みんなマフラーやら国旗やらユニフォームやらで完全武装。天気も良く、野外ライブの感あり、これならビーチに行かなくても十分日光浴ができる。今日はぜひとも勝ってもらって、またここで見たいですね、と試合前に話していた。

お互い決定的なチャンスはそれほど作れず、比較的静かに試合が進んだが、会場全員がじっと画面を見詰める緊張感があった。それでもやはり決着のつくPK戦になると会場は総立ち。最後はジャンプしないと画面が見えなかった。

試合終了後、全員がマルケシュ・ポンバル像へ向かって行進。これを想定して、リベルダーデ大通り、マルケシュ・ポンバルのロータリーも通行止め。この日ばかりはサポーターのエネルギーをこうやって発散させた方が得策と考えた上での措置だろう。これはユーロ2004時の経験からかもしれない。

それにしてもロナウドの大人の振る舞いには感心したな。ルーニーを退場に追い込んだのはロナウドの計算通りだっただろう。5人目のキッカーとしてPKを決めたのはもちろん、試合を通してチームを引っ張った。

次戦はデコが復帰する。万全の体制でポルトガルはフランス戦に臨む。