エリーゼの話によると、今日、リスボンでも雪が降ったらしい。もちろん、積もる程ではないんだけれど、どうりで寒い。ポルトガルではこの冬一番の寒さだったのではないか。
バレンシア市とようやく連絡が取れ、今日はその返事を書いておかなければならなかった。市の他に、バレンシア港湾局とCEyD、Centro de Estrategias y Desarrollo de Valenciaというバレンシア戦略開発センターなるところにメールを送ったのだが、返事が返ってきたのは市役所のみ。CEyDも市が運営をしているようなので、とりあえず市とさえ連絡がとれていれば話は進めやすい。港湾局にもつなげることができるだろう。もっとも、バレンシア滞在は一日だけになるようなので、ヒアリングを2件行うと、実際のサイトを訪れる時間がなくなりそうなので、市のみヒアリングを行う方がいいのかもしれない。いずれにしろ、情報ゼロから始まったバレンシア調査もちょっと先が見えてきた。
今回、ビルバオも訪ねるのだが、ビルバオにはベルギーのゲントで知り合ったアランチャ、モニカ、ルイスがいる。最近、アランチャと連絡を取り合って、再会を目論んでいる。ルイスはサンタンデールの出身なのだが、ルイスもビルバオに駆けつけさせる、とアランチャはかなり楽しみにしてくれていてうれしい。ビルバオ滞在もまる1日だけなんだけれど、この夜はもう寝なくてもいいかな。
調査自体もちろんすごく楽しみだし、こういう機会にうまく彼女らに再会できそうなのでなおさら楽しみだ。部屋に貼ったイベリア半島の地図を眺めながら、来月末を待ち焦がれている今日この頃。
29 January 2006
雪が降る
28 January 2006
中華
午後7時を過ぎた頃、計ったかのように(もちろん計ったのだが)マテウス事務所のオオシマに電話をかける。仕事の後、中華料理を食べに行かないかと誘う。別に今日予定ないからいいっすよ、というかなり先輩思いの返事が返ってくる。8時半にシアドのショッピングセンター前で待ち合わせる。遅れて到着したミヤウチ君といっしょに中華料理屋へ。
最近は以前に比べ少々忙しく、平日は仕事が終わると結構疲れを感じる。それで週末が待ち遠しい。もっとも最近は週末のうち1日は仕事に出ることが増えてきているのだけれど。
それでもやっぱり週末は待ち遠しい。今日はマテウス事務所の2人と中華料理を食べながら、ビールを飲みながら、2時間くらいの短い時間だったが、とにかくしゃべり尽くした。食事は心身をリラックスさせる。男同士で2時間しゃべり続けるというのは結構長い方じゃないかと思う。事務所のこと、大学のこと、最近の日本のニュース、ポルトガル人のこと、等々脈絡もなく話す。程よく酔った体を夜風で醒ましながら帰っていると、日本で友達と飲みに行った帰り道を思い出した。地下鉄でインテンデンテ駅に到着しかかる。電車が停止する前に扉が開くところに、やっぱりここはポルトガルなんだな、と思いながら駅の階段を上る。
明日はジャズクラブにピアノの演奏を聴きに行く。
22 January 2006
アートの力
昨日、出勤前に『O PODER DA ARTE -Serralves na Assembleia da Republica-』という展覧会に行ってきた。ポルトにあるセラルベス美術館(Museu Serralves)のコレクションを、リスボンにある国会議事堂で展示しようという試みだ。セラルベス美術館はポルトガルの現代美術をリードする存在で、シザ・ヴィエイラ設計の建物とともに国外でも名の知れた美術館であると言えるだろう。
そのコレクションを国会議事堂というアートとは無関係な(少なくとも一般市民にはそう感じられる)場所で公開している。キャッチフレーズは、『O PODER DA ARTE』、アートの力。その言葉に半信半疑になりながらも、国会議事堂が事務所から近いということもあって訪れてみることにした。
国会議事堂は平日、昼食に通うリスボン大学経済学部の学生食堂の近くにある。そのため日頃から見慣れている建物ではあるが、これは威風堂々、豪華壮麗な立派な建築物である。サン・ベントというリスボンの中では居住環境の良い地区にあるのだが、この国会議事堂がその雰囲気作りに一役買っていると言えるだろう。
さて、建物に入ろうと思ったのだが、真っ白な入り口正面の大階段、護衛の兵士などにちょっと怯んでしまう。正面切って、兵士の脇を通り過ぎて「突入」してもいいものか。護衛の兵士に聞くのも何だか気が引ける。そう思っていると、正面入り口からパラパラと人が出てくる。それで、ああ、ここから入っていいんだなと思い、入り口の方へ進む。入り口で手荷物検査を受け、国会議事堂内部に無事入ることができた。ああ、なるほどなと思う。確かに普段は一般の人々が入ろうとしない、いわば日常的ではない空間に、展覧会という名目で入ることができる。いつも外から見て、立派だな、と思っていたその建物に入ることができる。そう思った途端、何だか僕はワクワクしてきた。
見学は国会議事堂という場所柄、ガイド付きで見て回ることになる。1時間に1回のペースで行っている。説明はポルトガル語のみだが、建物内は声が反響するという理由でトランシーバーが貸し出され、それを耳にあてて聞くため僕のポルトガル語レベルでも何とか聞き取ることができる。歴代の大統領の胸像が飾られた部屋、大階段のある吹き抜け、テレビでもお馴染みの新聞記者が突撃インタビューする廊下、図書室の待合室、と、国会議事堂内の様々な場所にセラルベスのコレクションが展示されている。おもしろいのは、その見学ツアー一行に、美術鑑賞よりも国会議事堂に入りたかった、というようなお婆ちゃんたちが多数いたことである。
「あたしには、アートとかよう分からんたい。」
「ばってん、ばあちゃん、国会議事堂の中ば見てみとうなかか?」
「ほんなら行ってみようか。」
そんなやりとりが想像される。そしてツアーが終わった頃には、お婆ちゃん達も一端の芸術評論家になっているのかもしれない。
「ガラスっちゅうのはね、きれいかばってん、一方ではかなかもんやろうが。それは危険、あぶなかっちゅうことでもあるとよ。」
と、今までは暇そうに窓から通りを眺めていた彼女らが、通りを行く人をつかまえて話しかける。そんなことが起きる、かもしれない。そういう可能性、潜在能力を含めて「力」ということができるだろうから、展覧会の場所と合わせて見て、そのシンプルなキャッチフレーズには共感を持てた。
あと、ガイド付きの方が実はじっくり作品を味わえているような気がしたのも僕には発見だった。会期は2006年1月12日から4月16日まで。少なくともリスボン、ポルトガル在住者には行く価値あり。無料。(詳細は、http://www.serralves.pt/)
21 January 2006
バカリャウビルと国会議事堂
今日は昼過ぎから出勤予定。最近はリスボン港湾地区にあるバカリャウ貯蔵用の建物の改修プロジェクトに携わっている。これが6階建ての建物で、何平米かは忘れたけれど、とにかくでかい。このバカリャウビルをなんと美術館に改修する。バカリャウとアート。確かにポルトガルには数百通りのバカリャウ料理があるらしいが、アートとバカリャウとはとんでもない組み合わせである。それにしても、ポルトガル人はバカリャウを以前ほどは食べなくなったということなんだろうか?
今日、午前中に突然エリーゼが家にやってきた。マルティニック島からたくさんのおみやげを抱えて。アントニオからも聞いていなかったので、朝からびっくりさせられた。10日間リスボンに、つまり我が家に、滞在するらしい。それからパリに行って仕事をすることになるそうだ。まあ、まだあまり詳しい話をしていないので細かいことは分からない。
今日はこれから仕事前に国会議事堂に寄って、アートを鑑賞してくる。国会議事堂とアート、これもまた不思議な組み合わせだけれど、アートとはそういうものなんだろう、おそらく。
16 January 2006
ポルトガルとスペインのブラウンフィールド調査
ここのところ、年末年始ということもあって週末出かけることが多かった。自然と自分の部屋が無政府状態となり、洗濯物からも不満の声が聞かれた。しかもこちらは冬に洗濯物が乾きにくい。10月くらいから雨季に入り、外に洗濯物を干しておくと、いつ雨にさらされるか分からない。だから室内に干さざるを得ないし、そうすると乾くまでにだいたい2日か3日くらいかかる。あの、夏の洗濯物の乾きの早さがなつかしい。夏は夏で、外に干しておくと一気に色褪せてしまうんだけどね。
それで今週末は部屋の中を整理したり、洗濯をやったり、Fnacで本を物色したり、カレーを作ったりしてのんびりと過ごした。週末にこういうふうに一人で生活の中の些細な事をこなしていくのは心地がいい。そしてこういう時間にいろいろな事柄を落ち着いて考えることができる。
昨日も書いた通り、2月末に大学から研究員のAKTさんと後輩のHREくんがポルトガル、スペイン臨海部のブラウンフィールドの調査にやって来て、僕もそれに同行することになっている。リスボンとバレンシアがメインになるのだが、そのヒアリング先を見つけてコンタクトをとるという大事な役目を僕は負っている。これについてもやはり、週末じゃないとゆっくり時間をとって考えることができない。今日はリスボン港湾局にヒアリング依頼のメールを送る。そして、AKTさんにこちらでの移動手段に関する件とこちらの進捗を報告する。リスボンに関しては一度ヒアリングを行ったことがあるのでコンタクトをとりやすいが、バレンシアに関してはまだ情報収集中だ。とりあえず、バレンシア州政府、バレンシア市、バレンシア港湾局と片っ端から関係のある主体のウェブサイトを見ている最中だが、市のウェブサイトにずばりウォーターフロントの開発に関するニュースを発見。来年あたり国際コンペを行う予定であるとの市長の表明が載っている。バレンシアにおいてウォーターフロントの再開発がまさに進行中であることを思わせる。マスタープラン等もダウンロードする。
宿泊先などの基本情報も気になるので、午後、散歩ついでにバイロ・アルトのオオシマ、ミヤウチ邸を訪ね、「地球の歩き方 スペイン」を借りる。そこで思いもかけず、見た目ロールキャベツ風のおしゃれなお雑煮をごちそうになる。だしがよく効いていておいしかった。そのあと和菓子とお茶までごちそうになった。
しばらくの間、週末はこの件に関していろいろと時間を使うことになりそうだ。
14 January 2006
レンタル→完全移籍
金曜日の帰り際、4月以降のことを話そうと思って、普段はなかなかつかまらないスザナをつかまえる。スザナはコーディネーターの一人だが、ここは大企業ではない故、設計もやっている。彼女は何故か知らないがいつも不機嫌そうに見えるが、実際はそんなことはない。話しかければきちんと対応してくれる。でもいつも不機嫌そうに見えるため、「彼女は何でいつも不機嫌なんだろう?」と最初は誤解されやすい。
従って、「話せば分かる」人なんだけれど、改まって何かを話す、とりわけこういう話題をするとなるとちょっと緊張せざるを得ない。で、他の話題も一応持っていく。
「前にも話していた2月下旬に休みを取りたいという話なんですけど、日程が確定したので報告しにきました。」
と、2月下旬の休みの話から切り出す。2月下旬に大学から研究者の方がいらっしゃるので、その時にヒアリングのお供をすることになっている。無事、休みをとることができそうだ。(それでー)と思っていると、スザナの方から、
「あなたがこの事務所のこと、どう思っているのか前から聞こうと思っていたのだけれど、どう思っている?私たちはあなたが4月以降もいることに興味をもっているわ。もしあなたがその気ならね。」
「僕もちょうどその話をしようと思っていました。」
告白しようと思ったら、向こうから先に告白される、といった何とも都合のいい展開だ。この瞬間に僕の緊張の糸はするすると解け始める。来週、契約の細部を話すことにして、スザナといろいろと仕事のことについて話す。
「ポルトガル語をもっと話せるようになれば、もっと責任のある仕事を任せられるようになるわ。」
去年の4月にリスボンにやってきて、10ヶ月が経過したけれど、ここからがまた新しいスタートになりそうだ。シザ事務所で頑張っていらっしゃる日本人先輩方を目標に、やはり一人でプロジェクトを担当できるように頑張ろう。
04 January 2006
元旦
大晦日に夜更かししたせいで、起床は午前11時過ぎ。セシモさんはこれから走ってくるという。確かに彼の家の近くには朝走るのに良さそうな川沿いの場所がある。セシモさんが走っている間にシャワーを借りる。しばらくするとセシモさんが帰ってきて、セシモさんがシャワーを浴びた後いっしょにベランダで朝食を頂く。
朝食の後、シザ事務所を見学。セシモさんが担当しているプロジェクトを始め、進行中のプロジェクトを紹介してもらう。リスボンのシアド改修プロジェクトがまだ続行中であることを聞き驚く。そういえば確かにあの中庭の突き当たりからカルモ教会前の広場と接続する階段が図面にあったのを思い出す。確かにそうなったら今よりずっと良くなるし、おもしろい。セシモさんのデスクからはアラビダ橋が見えた。オフィスからの眺めが良く、羨ましい。
その後、2年前にできたポルトのメトロを見学に行く。ポルトはダリアン、ステファニーとともに、昨年4月末に一度訪れていたが、その時はなぜかこのメトロの存在を完全に忘れていて、バスで回っている。圧倒的にメトロの方が便利だ。ポルトのメトロは4つのラインがあるが、シザが担当したサン・ベント駅以外、そのほとんどの駅をソウト・デ・モウラが担当している。その時はソウトの事務所に「メトロ部門」があって、9人の所員さんが担当していたそうだ。その全駅に大量の淡いブルーのタイルが使用されているのだが、それがとても鮮やかな色をしている。クールな印象を与えつつも、暖かみも感じるという絶妙な色だ。それらのタイルは一枚一枚、職人さんが手作りで仕上げたというが、そのおかげで一時期は潰れかかっていたそのタイル作りの小さな村が持ち直したという逸話も残っている。
いくつかの駅をセシモさんの解説とともに見て回ったが、僕はカーザ・ダ・ムジカ駅が印象に残っている。自然光(間接光)の入る地下鉄の駅なんて今まで見たことがなかった。地下鉄のホームで自然光を感じることできるとは、なんて素晴らしいのだろう。ソウトは他のいくつかの駅でも自然光を取り入れていた。
このクールな地下鉄駅を走り抜けるのはドイツ製のピカピカの車両で、なんだかホームで待っているポルトガル人まで先進諸国の人々に見えてくるから不思議だ。このメトロは地下から地上に出て、さらにあのドン・ルイス1世橋の上のレベルを渡って、川の向こうまでつながっている。これだけでも素晴らしいのだけれど、ドン・ルイス1世橋の上のレベルを地下鉄の線路のすぐ横を人々が歩いて渡っている!こんなところを歩いて渡れるなんて!橋を渡りきった所の駅で降りて、帰りは歩いて橋を渡る。たそがれ時になると身支度をしてまっすぐ家へ帰るため「たそがれポルトガル人」と僕に揶揄されるのだが、そのたそがれ時がポルトガルは美しい。久しぶりに見たポルトの夕景に感動して、思わずセシモさんに、
「こんな素晴らしい眺め世界中探してもないですよ!」
と言う。すると、ポルトに少々お疲れ気味のセシモさんもちょっとうれしそうに、
「そうですよ、こんなのないですよ!」
夕食は、フランセジーニャ。「小さなフランス人の女の子」という名のミーニョ地方の名物は、サンドイッチとフレンチトーストを足して2で割り、チーズを足してソースをかけた、かなりパンチの効いた代物。一度食べると、「じゃあ、次は半年後に」と言いたくなる程重たい。
セシモさんにバスターミナルまで見送ってもらい、午後8時発のバスでポルトを後にする。午前0時頃、リスボンの自宅に帰り着く。翌日の朝、僕は腹の底に「フランス人の小さな女の子」の存在をしっかり感じることができた。
03 January 2006
大晦日
大晦日はポルトへ。
シザ事務所のセシモさん宅でアンコウ鍋パーティ。セシモさんと僕と、彼の同僚のスペイン人、ペレとベアトリスの4人で鍋を囲む。何と彼らは31日も働いていた。もっとも日本人の「12月31日」に対する感覚とは違うんだけれども(僕だって今日1月2日から働いている)。シザ事務所での仕事の様子を3人がおもしろおかしく話してくれた。彼ら外国人部隊のポルトガルにおける悪戦苦闘を知る。でももうすぐ彼らをインドが待っている。同僚のインド人の結婚式に呼ばれたため、2、3週間休暇をとってインドへ出かけるらしい。みんなかなり楽しみにしているようで、時々事務所内で思い出したように「インディア!、インディア!」と連呼し始めるらしい。でもセシモさんによれば、シザはちょっとご立腹とのこと。何しろ事務所の半分近くの人がインドへ旅立ってしまうからだ。
アンコウ鍋の後、僕がポルトへ来る途中にアベイロで買ってきたオヴォシュ・モレシュをデザートに食べる。そしてシャンパンを持ってリベルダーデ広場へ。駐車場がなかなか見つからず、危うく車内で年を越しそうになったけど、何とか5分前くらいに広場にたどりつく。セシモさん、誤って11時58分くらいにシャンパンを開けてしまう(誤射)。そしてその2分後くらいに、何となく他の人のシャンパンが開き始め、正確にはいつ年を越したのか分からぬままに新年が明ける。誰かが開けたシャンパンの栓が頭をかすめ、セシモさんはシャンパンを夜空に向かって発射する。
市庁舎の上から次々とあがる花火を眺めながらシャンパンを回し飲み。本来はホシブドウを12個食べるところを、シャンパンを24回くらいみんなで回す。
花火が終了すると、今度は別のスペイン人の同僚の家でパーティ。お屋敷と言った方がいいくらいの広い家で、30人以上の人が集まる。ほとんどの人がポルトに住むスペイン人ということだった。そこに1時間くらい居て午前3時頃セシモさん宅に帰る。久しぶりに結構な量のお酒を飲んだ。