昨日(12月29日)の午前4時頃、地震を感じた。ポルトガルに来てこれが初めてだったし、まさか、この国で地震を感じることがあるとは想像していなかった。翌朝、事務所に行って、地震あったよね?と言っても、え、本当?といった返事ばかりで誰一人として地震を感じた人はいなかった。
確かにアレンテージョのベジャの近くで地震があったらしい。マグニチュード4から5くらいだったらしい。でもポルトガル人はおそらくそれがどれくらいのものなのか、見当がつかないだろう。リスボンはおそらく震度1か2程度だったのではないかと思う。
誰も地震を感じていなかったばかりか、僕が地震を感じたというのが信じられないといった表情だった。地震を知覚した1分後くらいに様々な考えが頭をよぎり、僕が今、ポルトガルという日本とは地震に対する認識の異なる国にいることを思い、何年築の建物に住んでいるかを思い、アルミランテ・レイシュというリスボンの谷底に住んでいることを思うと、気味が悪くなってしばらく眠ることができなかった。そして1時間後、また大地がかすかに揺れた。
30 December 2005
地震
28 December 2005
星の山脈、黒板石のまち

ヨーロッパ一大きいクリスマスツリー。これなら頑張れば一番になれるもんね。
クリスマス・イブの日、コエリョ先生の実家にお呼ばれした。「いつも通りの週末」だったはずが、思いがけなくもポルトガル家庭におけるクリスマスを体験することができた。
マテウス事務所のオオシマと、リスボンのサンタ・アポロニア駅から電車で3時間、ネラスという小さな駅に着くと、ミヤベさんとコエリョ先生が車で迎えに来てくれていた。そこから車で20分くらいかけて、コエリョ先生の実家のあるボバデラという町に着いた。ここはちょうどコインブラとコヴィリャの中間くらいに位置する。コエリョ先生の実家は小さな町の広場に面した大きな邸宅であった。
その邸宅ではミヤベさんの奥さんのアツコさんが「ボア・ノイテ!!」と元気よく迎えてくれた。アツコさんの他にはコエリョ先生のいとこマリアジーニャと、その娘さんラケルもいっしょだ。タイミングよくクリスマス・ディナーの準備がちょうど終わったところで、早速みんなで夕食。鶏がらスープのカンジャから始まり、バカリャオとキャベツとジャガイモをいっしょに煮込んだメイン・ディッシュに、何種類ものクリスマス用に作ったお菓子でお腹いっぱいになる。それに赤ワイン、シャンパン、リキュールでみんなほろ酔い気分。ポルトガル語、英語、日本語でみんなでしばらく談笑した後、ラケルと日本人4人で夜中の散歩に出かける。先生の家は大きくて立派な建物なんだけれど、改修中で最近は誰も生活していなかったために芯から冷えていて、外の方が却って暖かく感じる。この辺にはセラ・ダ・エストレーラという山脈があり、「星の山脈」の文字通り夜空に無数の星が見える。夏にアルガルヴェで見て以来だ。ずっと見ていると段々と星の数が増えてくる。感動的だ。加えてオオシマの星に関する知識に感心する。
夜は湯たんぽとともに就寝。
翌日、先生達がミサに出かけている間に日本人4人だけで朝食をとり、町をぶらぶらと見学する。こんな小さな町にもローマ遺跡のアンフィ・テアトロがある。家を建てるときにそこから石材を持ち出して再利用したらしく、今では芝生席のある西武球場のようになっていたけれど、この小さな町の大きな遺産に関心する。これはスペインのカタルーニャ地方の小さな町巡りをした時にも感じたことだ。町の中心には教会なり、ローマ遺跡なり何かしらのモニュメントがあり、それを中心に町が形成されている。そしてこういった小さな町の方が建物の修復状況も良く、人々も気さくで印象がいい。
先生がミサから帰ってくると、マリアジーニャの家に行って、みんなで今度はクリスマス・ランチ。カンジャ・スープに続いて、マトンとバタタ・フリタがメイン・ディッシュ。そして数々のおいしいデザートたち。レケイジャオンにカボチャのジャムをかけて食べるのが最高だった。
食事の後、先生と日本人4人で、近くのポウザダを見学に行く。ポウザダは修道院と宿泊施設をどう接続するかが肝になってくるようだが、その部分がどうもすっきりしていなかった。ちなみに最近、ポウザダは国営から民営化されたそうだ。ポウザダを見学した後、黒板石でできた家が立ち並ぶ町を訪ねる予定だったが、あいにく悪天候で中止。しかし、この地域の小さな町のポテンシャルの高さを十分感じることができた。他にも、今回は訪ねることができなかったが、マヌエル・タイーニャの初期作品のエスタラージェン・デ・サンタ・バルバラというホテルが近くにあり、シザ・ヴィエイラのサロン・ド・シャに大きく影響を与えている建物らしい。写真や先生の話から想像するに、これはかなり良さそうだ。
先生の家に戻って昨日の残りもので夕飯を済ませる。これは日本の正月に似ている。そしてまた、湯たんぽとともに就寝。
翌26日の朝、先生とともにリスボンへ向かって出発。午後13時頃に帰宅。すっかりポルトガルの土着的な建築物に魅了されて、早速建築家協会の本屋さんに『ポルトガルの大衆建築』を求めて向かったが、12月26日はやはり休んでいた。
22 December 2005
アフター25
おとといからアーキキャドでひたすら描き続けた図面20枚がようやく終わった。例のプロジェクトは(やはり)予定通りには終了せず、明日、クリスマス前になんとか終わりそうだ。自分が担当していた部分は日曜日に終わっていたのだけれど、そのあとアンドレイアを手伝い、おとといからフィリプを手伝い、ようやく明日全て終了しそうだ。
明日はクリスマス前最後の出勤日ということで、みんなでいっしょに昼食をとることになっている。何か特別なパイを食べるみたい。そして、昼食後はみんなクリスマス気分に浮かれて、ほとんど仕事に手もつかず、午後5時くらいにはみんな居なくなってしまうらしい。明日、セシモさん、ジュンコさんの二人がポルトから事務所を訪ねて来る頃には、僕以外誰もいないということになっているかもしれない。その方がゆっくり事務所を見せることができ、かえって都合がいいということもあるのだけれど。
そういえば、今日になって、クリスマスの翌日26日はお休みにします、と言われた。もともとそれが分かっていればリスボンに留まらずどこか訪ねることができたのに。そういうわけで、24日、25日はいつもの週末として、26日月曜日の予定が決まらない。クリスマス・イヴではなく、クリスマス翌日の予定が決まらない。クリスマスを通常の週末と見なしてしまっているので、クリスマス・パーティの後片付けすらできない。
「あの、クリスマスの後が大事なんですよ。アフター25、これがやっぱり大事なんですよねぇ。」
去年の今頃、研究室の同僚が確かこんなことを言っていた。でも、なぜ「アフター25」が大事なのか、彼が和歌山訛りで力説していた割に、その理由を思い出せそうで思い出せない。
18 December 2005
リスボンのブラウンフィールド
昨日は仕事が終わったのが午後9時。本当はもう少し早く終わる予定だったけれど、思ったより時間がかかってしまった。月曜日に図面をプロッターから出して、カットして、折りたたんで、とりあえずこれでこのプロジェクトも無事終了、のはずだ。次はどんなプロジェクトに関わるのだろう?
それよりも今日は何をしよう?今日は12時くらいに起きて、朝食をとって、洗濯をして、洗い物をして、午後3時に早くもインターネットに接続してしまっている。今日は少なくともあと買い物だけは済ませておかないといけないけど、それ以外は特にない。海外生活とは言え、かなり「地味」な生活を送っている。まあ、それについてそんなに不満があるわけじゃないけれど。
でも、本当はちょっとやらなければいけないことがある。日本へ帰った際に、大学にも顔を出してきた。そして僕の担当教官であったS先生と、今年の春から研究室の研究員になられているAさんと話していたのだけれど、以前から大学とY市共同で進めているプロジェクトの一環で、リスボンのブラウンフィールドについて調査することになったらしい。簡単にリスボンの「都市再生」の状況のようなものを話し、とりあえず僕が論文で扱った事例の一つもその調査対象に入れることになった。以前からリサーチのようなものもやりたいと思っていたのでこれは好都合だ。幸い、こういうことに備えて論文関係の資料は全て持ってきていた。今日のうちにその整理をやっておこう。
17 December 2005
再び、リスボンへ
12月12日、トランクケースにたくさんのセーターと乾麺とカレーのルウを詰めて、リスボンに帰ってきた。
そして、翌日からまた出勤したわけだが、その日の朝から「ギックリ腰」になってしまって、「ブログもままならない」状態だった。その日、長旅の疲れも見せず午前8時には起床して、ヒゲを剃って、シャワーを浴びて、着々と久しぶりの出勤に向けて準備をしていたのだけれど、それは突然、僕を襲った。クシャミが出た途端に、その時の姿勢が悪かったのか(少なくともクシャミというものに対して)、腰に激痛が走った。ベッドに倒れこみたいのだけれど、それもゆっくりやらないと腰に痛みが走り、映画のスロウモーションの様にベッドに倒れこんだ。腰をさすりさすり、何とか事務所に行って無事仕事をこなすことができたのだが、仕事から帰ってきてもまだ痛みは続き、とにかく腰を暖めて寝るのが一番と思い、毎日午後10時くらいにはベッドにもぐりこんでいた。その痛みもようやく引いてきて、今日、土曜日の朝、ようやくリスボンへ戻ってきたことを報告できている。
今日は早速の週末出勤。来週月曜日までに例の教会改修・美術館化プロジェクトを提出しなければならないからだ。といっても僕の担当部分はほとんど終了しており、図面の細かい部分を修正すればいいので、昼食後に出かけて、夕食前くらいには帰宅できるだろう、おそらく。そうしたら、また久しぶりに帰国した日本での様子などを書きたいと思う。
01 December 2005
緊急帰国
11月30日、急遽、帰国しました。11月26日、祖父が亡くなったためです。12月12日の朝にまたリスボンへ向けて成田から経ちます。12月7日くらいまでは福岡にいて、それから東京に行くことになると思います。東京でいろんな人に会えたらと思います。
実家はいろいろと慌しいのですが、1週間程前に生まれた姉の赤ちゃんがみんなをなごませています。