28 December 2005

星の山脈、黒板石のまち


ヨーロッパ一大きいクリスマスツリー。これなら頑張れば一番になれるもんね。

クリスマス・イブの日、コエリョ先生の実家にお呼ばれした。「いつも通りの週末」だったはずが、思いがけなくもポルトガル家庭におけるクリスマスを体験することができた。

マテウス事務所のオオシマと、リスボンのサンタ・アポロニア駅から電車で3時間、ネラスという小さな駅に着くと、ミヤベさんとコエリョ先生が車で迎えに来てくれていた。そこから車で20分くらいかけて、コエリョ先生の実家のあるボバデラという町に着いた。ここはちょうどコインブラとコヴィリャの中間くらいに位置する。コエリョ先生の実家は小さな町の広場に面した大きな邸宅であった。

その邸宅ではミヤベさんの奥さんのアツコさんが「ボア・ノイテ!!」と元気よく迎えてくれた。アツコさんの他にはコエリョ先生のいとこマリアジーニャと、その娘さんラケルもいっしょだ。タイミングよくクリスマス・ディナーの準備がちょうど終わったところで、早速みんなで夕食。鶏がらスープのカンジャから始まり、バカリャオとキャベツとジャガイモをいっしょに煮込んだメイン・ディッシュに、何種類ものクリスマス用に作ったお菓子でお腹いっぱいになる。それに赤ワイン、シャンパン、リキュールでみんなほろ酔い気分。ポルトガル語、英語、日本語でみんなでしばらく談笑した後、ラケルと日本人4人で夜中の散歩に出かける。先生の家は大きくて立派な建物なんだけれど、改修中で最近は誰も生活していなかったために芯から冷えていて、外の方が却って暖かく感じる。この辺にはセラ・ダ・エストレーラという山脈があり、「星の山脈」の文字通り夜空に無数の星が見える。夏にアルガルヴェで見て以来だ。ずっと見ていると段々と星の数が増えてくる。感動的だ。加えてオオシマの星に関する知識に感心する。

夜は湯たんぽとともに就寝。

翌日、先生達がミサに出かけている間に日本人4人だけで朝食をとり、町をぶらぶらと見学する。こんな小さな町にもローマ遺跡のアンフィ・テアトロがある。家を建てるときにそこから石材を持ち出して再利用したらしく、今では芝生席のある西武球場のようになっていたけれど、この小さな町の大きな遺産に関心する。これはスペインのカタルーニャ地方の小さな町巡りをした時にも感じたことだ。町の中心には教会なり、ローマ遺跡なり何かしらのモニュメントがあり、それを中心に町が形成されている。そしてこういった小さな町の方が建物の修復状況も良く、人々も気さくで印象がいい。

先生がミサから帰ってくると、マリアジーニャの家に行って、みんなで今度はクリスマス・ランチ。カンジャ・スープに続いて、マトンとバタタ・フリタがメイン・ディッシュ。そして数々のおいしいデザートたち。レケイジャオンにカボチャのジャムをかけて食べるのが最高だった。

食事の後、先生と日本人4人で、近くのポウザダを見学に行く。ポウザダは修道院と宿泊施設をどう接続するかが肝になってくるようだが、その部分がどうもすっきりしていなかった。ちなみに最近、ポウザダは国営から民営化されたそうだ。ポウザダを見学した後、黒板石でできた家が立ち並ぶ町を訪ねる予定だったが、あいにく悪天候で中止。しかし、この地域の小さな町のポテンシャルの高さを十分感じることができた。他にも、今回は訪ねることができなかったが、マヌエル・タイーニャの初期作品のエスタラージェン・デ・サンタ・バルバラというホテルが近くにあり、シザ・ヴィエイラのサロン・ド・シャに大きく影響を与えている建物らしい。写真や先生の話から想像するに、これはかなり良さそうだ。

先生の家に戻って昨日の残りもので夕飯を済ませる。これは日本の正月に似ている。そしてまた、湯たんぽとともに就寝。

翌26日の朝、先生とともにリスボンへ向かって出発。午後13時頃に帰宅。すっかりポルトガルの土着的な建築物に魅了されて、早速建築家協会の本屋さんに『ポルトガルの大衆建築』を求めて向かったが、12月26日はやはり休んでいた。