27 March 2009

アモレイラスの住宅


事務所が設計した「アモレイラスの住宅」を所員とともに見学。この地域は、アモレイラス・ショッピングセンターとともに近年発展してきた住宅地である。近くには、その一辺が水道橋によって区切られたアモレイラス公園があり、地下鉄のラト駅にも近く、その住環境の良さはリスボンの中でも上位に位置すると言って良いだろう。僕の印象では、このアモレイラス、カステロ、エストレーラ、そしてカンポ・デ・オウリケが、都市の賑わい、眺望、治安の良さなどの観点から言って良い住環境と言えるのではないかと思う。

「アモレイラスの住宅」は幅2メートル、高さ3メートルのガラス戸で構成された全面ガラス張りの外観が特徴である。透明、半透明、白色の3種類のパターンのガラスで構成されている。間取りはT0、T1であり、単身者、あるいはカップル向けの都市型の住居形式である。ガラスの内側にはストールやカーテンがあるものの、それを開けると外から部屋は完全に丸見えになる。その点はそういう住まい方に興味を持つ人もいると予測されるので、それほど問題ではないだろう。

しかし、問題は室内環境である。いまだ3月だというのに、室内には熱気がこもっている。もちろん、冷暖房装置は備わっているが、ガラス張りに面したリビングは5月くらいから冷房をつける必要がありそうである。リスボンの強い日差しを考えると、その点は大きなマイナス・ポイントである。外観はカッコイイが、南欧向けの住宅ではないな、というのが正直な感想。

フランシスコ・マテウス戦

アイレス・マテウス兄弟、弟の方と対戦。建築事務所対抗戦は、日本のA-CUPの様でやはり盛り上がる。往々にして、こういう人気若手事務所には大量の研修生がいて、運動量で負ける傾向にある。ホリエ君がいた頃のマテウス事務所は、もうみんな若くて走り負けしてたからね。その上、7人制サッカーにも関わらず控え選手が7人くらいいて、次から次へとフレッシュな選手が入ってくるので、平均年齢30代前半の我がチームは完全に走り負けるのである。

しかし、終わってみれば6-4で快勝。走り負けるどころか、何度ドリブル突破したことか。最後はゴンサロからのロングボールを相手ディフェンスを背負ったままトラップして、振り向き様に放ったボレーシュートが自分でも信じられないくらいにうまく決まって、今日は完全勝利だなー、などと思っていたら、

「いや、ハンドでしょ。左手でボール調整してたでしょ?」

などと言ってくる。ディフェンスのみならず、ゴールキーパーまでが言うのである。ボールが全く手に触れていないことは自分でも分かっているので、完全な負け惜しみである。しかも二人で証言してくるから、あたかも本当にハンドだったかのような雰囲気になっている。そういうずる賢さでチームワークを発揮するのはさすがポルトガル人だな。もう少しでサムライになるところだったけれど、ゴンサロになだめられる。まあでも、まだまだ自分も走れるな、ということが分かったので今日は満足である。

26 March 2009

ジャルディン・ダ・パラーダ、だ!


ジャルディン・ダ・パラーダはいつも活気に満ちている。ベンチに座って木陰で休憩をとる老夫婦、サッカーボールを蹴り合う親子連れ、賭ポーカーで盛り上がる老紳士たちで朝から晩まで賑わっている。出勤する時も、昼ご飯を食べに帰ってくるときも、残業で深夜に帰宅するときも、常にこの公園は人々で賑わっているのである。住んでいる家の目前にありながら、リスボンのお気に入りの場所の一つである。

25 March 2009

日本に野球があって良かった

午前4時に起きてWBCの日本を応援。ポルトガル時間では午前2時前から試合が始まったけれど、前日の米国戦は丸々試合を見たので、今日は8回からの途中登板。で、見始めた途端に1点差に迫られ、9回裏には同点に追いつかれ、そのままサヨナラ負けしてしまいそうな雰囲気で、もう、膝をガクガクさせながら観戦した。そしてイチローが10回にタイムリーヒットを放ったときには、ホームまで来いとばかりに暗闇で右腕をぐるぐると回し、ダルビッシュが最後に三振を取った瞬間にベッドに倒れ込む。いやー、良かったー。

夜は留学生とモンドウさんとご飯を食べ、優勝の喜びを分かち合った。しかし、なぜ膝がガクガクしたのかについては一般の人々には理解できないらしく、まるでイチローかダルビッシュでも見るかのような目で見られたのは意外でした。

ところで、今日久しぶりに行ったカーザ・ド・アレンテジャーノはなかなか良かった。値段も中心地の割には高くないし、味も悪くない。建物もイスラム風で「隠れスポット」の雰囲気がある(まあ、ガイドブックにも載っているのだけれど)。ロシオ周辺でレストランを探す際にはいいかも。

20 March 2009

野球が懐かしい

カルサーダ・ド・コンブロの住宅をルイス、スザンナ、クララと見学。半年くらい前に一度現場を見学したが、今やっているリベルダーデの参考にしたいところがいくつかあって見に行く。こうやって実際の空間を見てみることが何よりも参考になる。おかげでリベルダーデの内装の案も浮かぶ。昨日は韓国戦を見始めたら、ついつい午前4時まで夜更かしをしてしまったけれど(テレビではもちろん中継しないので、ネット中継)、意外と眠気に襲われることはなく、着々と階段まわり、エントランスまわりの図面が進み、いろいろと問題も解決しつつある。

ところで、ヨーロッパにいると「野球」が懐かしい。日本のピッチャーについての情報すら文字情報でしか入ってこないので、藤川とか、馬原とか、小松とか初めてそのピッチングを見て、いいピッチャーだなあ、と一人、部屋で納得したり、かなり日本びいきの解説をしているデストラーデに懐かしさを感じたりしているのである。

19 March 2009

逃げられた

逃げた逃げた。ソウト・モウラ・チームは突然のキャンセル。昼ご飯を食べ終えて、ゴンサロとよっしゃー、やってやるかー、と話していたところでキャンセルのメッセージ。7人絶対集めろよ(7人制サッカーなので)、などと向こうの方がやる気満々であったはずなのに、突然3時間前にキャンセル。他のチームをそんな短時間で見つけることができるはずもない。その上、また来週やりましょう、などとグラウンド予約(有料)や人集めがどれだけ大変かも分かっていないらしく、ゴンサロも僕も首を振るしかない。もう2度と呼ぶわけないだろ、カラー◯ョ、フィリョ・ダ・◯ータ。

ソウト・モウラ戦

明日は絶対に負けられないソウト・モウラ戦。前回は2-2で引き分け。おそらくゲーム運びは彼らが上だが、なんとか前回は踏ん張って引き分けた感じ。先制ゴールも決めたしね。しかし、彼ら、相当タチが悪い。ブツブツ、ブツブツとヤジを飛ばしてくる。だから、というわけではないけれど、思いっきりショルダー・チャージでぶっ飛ばしといたよ。やや後方からだったけどね。

向こう30年くらい勝てる気がしないようにしてやる。

とは、2006年WBCでのイチロー選手の多少力み過ぎた名言。この後返り討ちにあって、今やこっちが韓国に勝てる気がしなくなっている。しかし、マウンドに旗立てたりするのはやめてくれ。正直目を疑ったよ。こういうオフェンシブな国民性について、パク・チソンも「恥だ」と嘆いていたではないか。

とりあえず、こっちは明日のソウト・モウラ戦に集中します。

18 March 2009

アレンテージョは外せない


先週土曜日は日本よりやって来たフカガワ、モンドウさんと留学生5人を連れてリスボン現代建築ツアー。見学したのは、ベレン宮殿アーカイブ棟、ムゼウ・ド・オリエンテ、社会コミュニケーション大学、海の知識博物館、そしてポルトガル・パヴィリオン。カヒーリョの作品がたくさん入っているのはモンドウさんのご要望でもあったのだけれど、やはりリスボンで見逃せない現代建築となると、カヒーリョのものが多い。この内、ベレン宮殿アーカイブ棟、海の知識博物館、そしてシザのポルトガル・パヴィリオンは外せないだろう。気温の上がり始めたリスボンの昼下がり、海の知識博物館を木陰に隠れて見上げる。晴れた日に見るポルトガルの白い建築は爽快である、とつくづく思う。

最後にサン・ドミンゴシュ教会を見学して「シメ」にジンジーニャを一杯。夕方の心地よい風とともに、その甘さが歩き疲れた体を癒す。サン・ドミンゴシュ教会の反応は様々であっておもしろい。その後、モンドウさんはアレンテージョへ。ポルトガルにおいて、アレンテージョ地方は、その風景、食、ワイン、建築など様々な理由で見逃すことのできない地方である。

というわけで、短期旅行のフカキョンを連れて翌日はアレンテージョ地方のアハイオロスへ。ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサォンのポウザーダをピンポイントで見学。シザの弟子、ジョゼ・パウロ・ドシュ・サントシュが手掛けた改修プロジェクトで、リスボンへ来た人には最近よく薦めているもの。それはまさに既存の建物と建築家による対話であり、建物のあらゆる部分に新旧の出会いを見ることができる。僕自身、これが3度目の訪問であったけれど、何時間ここにいても飽きないだろうと思う。

(写真はポウザーダ、ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサォンのレストランへの出入り口)

02 March 2009

ヴィアナ・ド・アレンテージョ


ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオから、カストロ・マリン、ベージャ、アルヴィートを経由して、今回の旅、最後に立ち寄ったのがヴィアナ・ド・アレンテージョという町。どうせ、リスボンへの通り道だからと何気なく寄った町だが、そこにあったのがこの城と教会のセット。城壁にぎりぎりまで接して立つ教会の白い壁が城壁とコントラストを為し、見る者の興味を惹く。残念ながら夕方遅く着いたために中に入ることはできず、見たい好奇心を抑えつけられたままリスボンへ帰って来た。またこの町を訪ねることがあるかどうかは分からないけれど、近くへ寄ることがあればぜひ再訪したい。

カーニバル休暇を含め、2月中の2度の週末を使って訪ねた町、村は計12に達した。久しぶりの旅らしい旅だったので、見るもの全てが新鮮に感じられ、僕の好奇心をズバズバと刺激してくれた。やはり、旅は行きたくなったときに行くべきであると実感したが、今回の旅がすでに次の目的地へと僕を駆り立てているのも事実。アルメイダ、アルテール・ド・シャオン、ヴィラ・レアル、アルモウロル、、、。

さらなる「ポルトガル・プロフンド」を求めて。

01 March 2009

ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ


ミナ・デ・サン・ドミンゴシュからグアディアナ川沿いに南下して、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオへ。対岸には時々スペインの町が見えるが、ポルトガルとスペインをつなぐ橋はなかなか見当たらない。ようやくヴィラ・レアル直前に国境をまたぐ橋を発見。この橋も1991年に完成したようだ。

ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオはリスボン大地震後に計画された比較的新しい町である。スペインとの国境近辺をコントロールする目的で町は計画され、計画からわずか2年という早さで完成した。大地震後、リスボンの復興計画を行ったポンバル卿によってこの町も計画され、同じ建設方法、建築様式が用いられている。町は海に面した南岸ではなく、グアディアナ川河口に面しており、ポルトガル内陸部へ通じるグアディアナ川、そして国境をコントロールするというその計画目的が見て取れる。対岸のスペインの町、アヤモンテよりもより河口近くに位置している。サン・ドミンゴシュで採れた鉱物を載せた船もここを通過して海外へ運ばれた。

(写真は、グアディアナ川の対岸に見えるスペインの町。)