29 June 2007

パウロ・メンデス・ダ・ホシャのレクチャー

今週月曜日、メンデス・ダ・ホシャのレクチャーを聞きに行ってきた(ブラジルの建築についてこのブログで触れた直後にこのレクチャーのことを知り、非常に驚いた)。とても79歳とは思えぬ風貌で、ハツラツとしたブラジル・ポルトガル語が会場に響き渡っていた。これもトリエンナーレの一環だったようで、レクチャーの前にジョゼ・マテウスがレクチャー開催の経緯を語り、旧知の仲であるマヌエル・グラサ・ディアスが彼の略歴を紹介した。

メンデス・ダ・ホシャは最新のプロジェクトを2つ紹介していた。プロジェクトの規模の大きさ、それに対する建物の足元の繊細な感じに、いかにもブラジルの建築家らしい印象を受けて、何だか興奮してしまった(ニーマイヤーのスケッチを見ていても、大きな建物の足元へ常に配慮しているのが分かり、それが好感を与えている要因の一つかもしれない)。

僕がもう一つ興奮した瞬間というのは、彼がプロジェクトの説明をする前に、ポルトガルという国について触れた時だった。

「ポルトガル程、デュアルな国はない。」

宗主関係にあった国同士の中で、ポルトガルとブラジル程、今でも良好な関係にあるところはない、と前置きした後で、彼はこう言ったのだが、ポルトガルの二面性というのは、僕がポルトガルで生活するにつれて、徐々に感じ始めていたところだったから、我が意を得たり、の感だった。ポルトガルが植民支配をしていた国はブラジル以外にもあるけれど、やはりその中ではブラジルの存在感が圧倒的に大きい。食、音楽、テレビドラマなど、ブラジル文化はポルトガルの生活にしっかりと入り込んでいる。その中で、建築についても同じことが言える。

でも、この二面性の「二」は、ポルトガルとブラジルの関係だけを指しているのではなく、ポルトガルという内地と、大西洋の向こうにある世界を指していると僕は思うし、メンデス・ダ・ホシャもそのつもりで言ったのだろう。この独特な二面性が現れたのは、ポルトガルがヨーロッパの小国にスケールダウンしたことが要因の一つだと僕は思う。そこに絶妙なバランスが生じているように思う。

24 June 2007

そろそろヴァカンスの計画でも

夏のヴァカンスってまだまだ先じゃないか、と思われるかもしれないけど(実際、自分もそう思う)、今くらいから意識して計画しておかないと痛い目に会う。

ヴァカンスに南欧のビーチを目指してやってくる欧州人は多いけれど、ポルトガルにいれば、それは週末にできることであるし、また、働き始めて長い休暇というのはなかなか取れなくなっているので、普段は行く機会がないような国に足を延ばしたいと思う。

今年のヴァカンスの計画を立てるにあたり、一つだけいいことがある。それはリスボン-ヨーロッパ主要都市間の往復航空券を手に入れたこと。先週末、久々にリスボンに遊びにやってきた彼女に、服買わなきゃね、と真顔で言われて、ヴァスコ・ダ・ガマで大量の買い物をしたのだけれど、250ユーロ以上の買い物で航空券をプレゼントするというキャンペーンをやっていて、チケットを獲得したのだ。21都市(アリカンテ、アムステルダム、バルセロナ、ベルリン、ビルバオ、ブリュッセル、ダブリン、ストックホルム、フランクフルト、ジュネーブ、リバプール、ロンドン、マドリード、マラガ、ミラン、オスロ、パルマ・デ・マジョルカ、パリ、プラハ、ローマ、そしてヴェネチア)から選べるのだけれど、今一つ、僕の中で決め手を欠いている。プラハにまだ行ったことがなければ、プラハを選んだかもしれない。スペインの地方都市が幾つか入っているのもポルトガルならではということかもしれないが、今回スペインはパスしたい。北欧か、イタリアの都市、あるいはベルリンが今のところ候補かな。うーん、ベルリンにひかれてきた。でもヴァカンスという感じじゃないな。むしろヴァカンスをはずした時期に行った方が楽しそうな気もする。というか、「ヴァカンス」という響きに振り回されている気がする。「夏季休暇」とでも呼んだら気楽に考えられるかな。

23 June 2007

トリエンナーレの会場構成


リスボン建築トリエンナーレで使用されている青く塗装されたOSB材。これだけで見ると、悪くないけれど、やはりそこにものを展示するとなると、主張が強過ぎるかな。

この青を拒否した展示もちらほらとある。だから動線を示すという本来のコンセプトが会場全体で一貫していないという問題がある。OSB材の段差につまづく観客も良く見かける。

22 June 2007

ブラジルの建築

カスカイスの別荘の基本設計を担当している。カスカイスに別荘と言えば、クライアントもかなりのお金持ちということになる。間取りも、こちら式に言えば、T7、個室が7部屋にLDK、ジム、オフィス、プール、ワインセラー、ガレージとかなりの豪邸。延床面積も600平米強。ジョアン・ルイスの指示は、「60年代風でありながら、エッジな感じ」。クライアントがリオ・デ・ジャネイロで働くブラジル人銀行家ということもあって、ニーマイヤーなんかを意識しながら案を練る。

ニーマイヤーの作品集など日本にいるときは見たことがなかったけれど(現にニーマイヤーの良い作品集は今ではなかなか手に入らない)、これが見ていて飽きない。ニーマイヤーのラフなパースペクティブのスケッチなど、とても「今風」だし、「自由な曲線」のプランを見れば、最近世界でもてはやされている建築家のプランを思い出す。

ニーマイヤー以外にも、ヴィラノヴァ・アルティーガスや昨年プリツカー賞を受賞したメンデス・ダ・ホシャなど、ブラジルにいい建築家は多い。世界がかつてほどはもてはやさなくなったブラジルの建築は、今でもポルトガルの建築家たちの引き出しに入っている。ブラジル人建築家の作品集を見ていると、そんな気がする。

21 June 2007

連載


第一回リスボン建築トリエンナーレに関する記事を、TNプローブのウェブに書いています。全4回の連載の予定です。

20 June 2007

メキシコチーム

5月末にトリエンナーレの準備が始まって以来、たくさんの日本人と会った。トリエンナーレの日本チームの方々はもちろん(これだけで20人くらい)、メキシコのタローさんチームの方々、ニューヨークからヤギさん親子、大学の指導教官、ポルトからセシモさん、イマムラさん、ポルトでウエノさん、という具合。

事務所のトリエンナーレの準備も重なっていたから、なかなかゆっくり時間をとって話せた人は少なかったけれど、おそらく僕がポルトガルにいる間にこの密度で日本人に会うことは、もうないだろう。

準備期間中何度か顔を会わせていたタローさんと、先週木曜日、彼がメキシコへ帰る前夜にレストランで一緒に食事をすることができた。彼は日系メキシコ人だが、日本もメキシコも知る彼が、メキシコで事務所をやっているのは興味深い。彼はトリエンナーレでアメリカに出稼ぎに出たメキシコ人をテーマにしていたが、2つの国の間で揺れる、微妙な心理を彼との会話からも感じた。僕はたかだか2年間ポルトガルに住んでいるだけだが、勝手にいろいろと共感してしまった。

今回のトリエンナーレは、「Urban Voids」がテーマになっているが、各国展示において、真正面から都市の隙間に取り組んでいるチームが多い中、こういった人間の心理の隙間に焦点をあてたメキシコチームは異色で、僕が最も好きな展示の一つであった。

13 June 2007

サント・アントニオ


今日はサント・アントニオの祝日。サント・アントニオはリスボンの守護神であり、縁結びの神でもある。リスボンの、特にビカ、アルファマなどの旧市街地では、各通りでバーベキューをする人々で賑わった。リスボンの町を歌うもの、レゲエ、カボ・ヴェルデ・ミュージック、ベンフィカの応援歌、ありとあらゆる種類の歌を、それぞれが楽しんでいた。見世物ではなく、自分達が楽しむための祭り。サント・アントニオは、そういう気楽さを感じる、気持ちのいい祭りだ。

今朝は昨晩の大騒ぎが嘘かのような静寂。

03 June 2007

トリエンナーレ開幕


この2週間は忙しかった。ただ「忙しかった」というのならいいのだけれど、かなりフラストレーションのたまる2週間だった。

その原因は、トリエンナーレの準備で忙しさを極めた事務所の段取りの悪さ。段取りの悪いことなど、今まで何度もあったけれど、今回ばかりは頭に来た。

トリエンナーレの展示用に事務所はポワティエの劇場の模型を作り直すことにしたのだが(僕には、まず、この必要性が感じられなかった)、「電動」で2つに分かれ、2つの断面模型にもなるような模型を作成することになっていた(これも大袈裟だと思った)。2週間前にコンペの提出用模型を作成した模型職人のパウロは少々疲れ気味で、それを手伝っていた研修のポルトガル人学生も週末のない生活に嫌気がさしていた。

「でもね、やらないといけない時はやらなきゃだめなんだよ。」

僕は全く責任感のない研修生にこういってやりたかった。そして結局、僕はコーディネーターのペドロに頼まれて、模型を手伝うことになった。やれやれ。

1年前までいっしょに模型を作っていたパウロは僕の参加を喜んだ。ただ、これによって研修生から責任感というものがますます薄れていって、僕のフラストレーションが溜まっていくことになる。僕は日曜日だけは、これまたトリエンナーレのために来葡している日本チームの方々に会うためにそれまでに自分のパートを終わらせようと思っていた。僕は予定通り金曜日には大部分を終わらせ、土曜日の夜には終了予定だった。しかし、研修生の一人がカッターで指を切り、家へ帰ってしまう。僕のプランはあっけなく崩れ去り、結局水曜日まで日本チームの方に会うことができなかった。そして、水曜日の夜にようやくポルトガル・パビリオンのキャノピーの下で打ち上げをやっている日本チームに合流できた。しかし、今度は会場で設営をやっていた同僚が人手が必要だから手伝ってくれ、とその打ち上げ会場にやってくる。しかも、日本人の学生を2、3人連れてきてくれないか、と。日本の学生もようやく羽を伸ばしている時に。その手伝いが1時間以上かかる。打ち上げなんかとっくに終わってしまっている。僕はたくさんの日本の建築関係者と話す機会を逸する。

開幕式典で総合ディレクターのジョゼ・マテウスが言う。

「建築家の仕事というものは困難なものだ。でも、我々はその困難を喜んで受けいれている!」

困難なものが、本当に困難なものであるときのみ僕はそれを喜んで受け入れたい、と思った。