03 June 2007

トリエンナーレ開幕


この2週間は忙しかった。ただ「忙しかった」というのならいいのだけれど、かなりフラストレーションのたまる2週間だった。

その原因は、トリエンナーレの準備で忙しさを極めた事務所の段取りの悪さ。段取りの悪いことなど、今まで何度もあったけれど、今回ばかりは頭に来た。

トリエンナーレの展示用に事務所はポワティエの劇場の模型を作り直すことにしたのだが(僕には、まず、この必要性が感じられなかった)、「電動」で2つに分かれ、2つの断面模型にもなるような模型を作成することになっていた(これも大袈裟だと思った)。2週間前にコンペの提出用模型を作成した模型職人のパウロは少々疲れ気味で、それを手伝っていた研修のポルトガル人学生も週末のない生活に嫌気がさしていた。

「でもね、やらないといけない時はやらなきゃだめなんだよ。」

僕は全く責任感のない研修生にこういってやりたかった。そして結局、僕はコーディネーターのペドロに頼まれて、模型を手伝うことになった。やれやれ。

1年前までいっしょに模型を作っていたパウロは僕の参加を喜んだ。ただ、これによって研修生から責任感というものがますます薄れていって、僕のフラストレーションが溜まっていくことになる。僕は日曜日だけは、これまたトリエンナーレのために来葡している日本チームの方々に会うためにそれまでに自分のパートを終わらせようと思っていた。僕は予定通り金曜日には大部分を終わらせ、土曜日の夜には終了予定だった。しかし、研修生の一人がカッターで指を切り、家へ帰ってしまう。僕のプランはあっけなく崩れ去り、結局水曜日まで日本チームの方に会うことができなかった。そして、水曜日の夜にようやくポルトガル・パビリオンのキャノピーの下で打ち上げをやっている日本チームに合流できた。しかし、今度は会場で設営をやっていた同僚が人手が必要だから手伝ってくれ、とその打ち上げ会場にやってくる。しかも、日本人の学生を2、3人連れてきてくれないか、と。日本の学生もようやく羽を伸ばしている時に。その手伝いが1時間以上かかる。打ち上げなんかとっくに終わってしまっている。僕はたくさんの日本の建築関係者と話す機会を逸する。

開幕式典で総合ディレクターのジョゼ・マテウスが言う。

「建築家の仕事というものは困難なものだ。でも、我々はその困難を喜んで受けいれている!」

困難なものが、本当に困難なものであるときのみ僕はそれを喜んで受け入れたい、と思った。