19 July 2009

カンポ・マイオールのスイミングプール


リスボンから東へ、スペインとの国境へ向かって行くとそこには広大なアレンテージョの風景が広がる。そして、リスボンなどの沿岸部の地域と異なり、内陸部特有の強い日差しと大地からの照り返しによって、どこへ押しやることもできない熱気がそこには存在する。都市部と違って、そこでは全てが太陽に晒されているのだ。

カンポ・マイオールの町も、その例に漏れず、太陽の日差しの厳しい所である。スペインとの国境近くに位置するこの町に、僕はカヒーリョ・ダ・グラサ設計のスイミングプールを訪ねた。バスを降りて、まずは城を訪ねる。しかし、城壁まで来たものの入り口がなかなか見当たらない。太陽は既にかなり強烈な光を放射している。近所の番犬に吠えられ、飼い主が顔を出した所で、城の入り口はどこですかと訪ねる。ここの斜路を下って行った所だが、今日は閉まっている、と彼女は言う。

城はあきらめ、一番の目的地である市営プールへ向かう。頭の中に地図を思い浮かべながら、城との位置関係から市営プールを目指す。歩いていると、所々で町の外側のオリーブの木の点在する広大な大地が見え隠れする。スイミングプールは中心地から少し離れた、その茫漠とした大地の中に佇んでいるはずであった。

舗装された道路が終わり、少々不安を感じ始めた頃、手提げ袋を肩からかけた一人の女の子が草むらの中に消えて行くのを見かける。その確信に満ちた足取りから、僕は、きっとそこにスイミングプールがあるに違いない、と考える。この町で、確信をもって草むらに消えて行く理由など他にないような気がしたのだ。そして、やはりその草むらの向こうにスイミングプールはあった。(当然のことだが、車が乗り入れることができるような、もっと分かりやすい道も別のところに存在していた。)

それなりに足に疲労を感じる程の距離を既に歩いていたし、何しろこの強い日差しのせいで、背中にはぐっしょりと汗をかいていた。最初から分かっていたことではあったが、ここで「市民プール」という言葉が僕に少しばかりの緊張を与える。

「カンポ・マイオールの市民ではないですが、私も入ることができますか?」

外国人であるかどうかはさておき、すでに海水浴用の水着に着替えた状態で、少なくとも地元の人間ではないことだけを前提に質問する。それ以外の面倒な前提はなるべく始めから除外しておきたかったし、プールへ出かけ、そこで泳ぐということに面倒な手続きが存在するべきではなかった。

「もちろん」

係りの男性は当然ではないか、という表情で答えた。

当初はそのスイミングプールを表すのに「非現実的」という言葉が最も適切であるように思われた。乾燥した大地を背景に、そこには深さ、形状の異なる3つのプールが水をたたえていた。そのアンバランスさに衝撃を受けたのだと、始めは思った。しかし、乾燥した内陸部の環境において、水は人々に欲されるものであり、必要不可欠なものである。その関係はアンバランスというよりは、むしろ相互に補完し合う関係である。

プールサイドからは周囲のパノラミックな景色を眺めることができる。これがこの建築の最大の仕掛けである。なぜ自分はここに水浴びをしに来たのか。その問いに対する答えは、そこに身を置くことで既に無意識裡に知り得ているものなのである。それが僕が感じた「衝撃」の正体だったのだ。

(プールサイドからは隣接する緑地にアクセスすることができる。人々はそこにビーチタオルを並べ、日光浴を楽しむ。)