事後報告になるが、昨日土曜日に東京の建築会館で開催されたリスボン建築トリエンナーレに関するシンポジウムに参加させてもらった。もちろんこれだけのために帰国はできないので、スカイプを使ってリスボンより参加。ボスの承諾を得て、インターネットの接続環境の安定している事務所を使わせてもらった。日本時間午後1時から始まるシンポジウムに参加するため、午前5時に自宅を出る。もっとも直前の午前3時くらいまで事務所で資料をスキャンしたりしていたので、事務所から帰宅してシャワーを浴びて、すぐに事務所に戻ったわけなのだが。つまり、徹夜。
徹夜の常で、午前7時、8時は魔の時間帯である。そして今回その魔の時間帯は、シンポジウム真っ最中にやってきた。僕の発表はシンポジウムの最後の方で、約3時間程、パソコンの前で他の発表をスカイプを通して見ていたのだけれど、睡魔は容赦なく襲い掛かる。僕の映像はシンボリさんのラップトップに出ているはずで、まずいまずいと思いつつ、2回ほどコックリとやってしまった。もっともスカイプでは映像はそれほどスムーズに見えていないはずなので、バレなかったかな。
さすがに自分の発表が近くなると目が覚めてきた。しかし、人前で発表するなどかなり久しぶりで、特に発表前半はガチガチに緊張してしまった。なんとか発表を終え、質疑応答になり、イガラシさんより、リスボンのポスト・モダニズムについて質問がある。これは僕の発表が、50年代、60年代のポルトガルにおけるモダニズムを理解せずには、ポルトガルの現代建築は理解できない、というアナ・トストンイスの言説に基づいていて、ポスト・モダンの話しが出てこなかったからなのだが、その返答で、ポルトガルのポスト・モダンが始まった時期をなぜか50年代からと答えてしまう。冷静になれば、ポスト・モダンがそんなに早い時期から始まるはずがなく、リスボンでは80年代からつい最近までトマス・タヴェイラを中心としたポスト・モダンの風が吹き荒れていたことは、特に何かの本を読まずとも、普通に答えられたはずなのである。
ポルトガルの現代建築についてヌノ・グランデがモダニズム時の「批評的地域主義」に対して「批評的国際主義」、とその特徴を説明したのだけれど、これについて会場から質問。自分では理解したつもりでも、いざ人に分かりやすく説明するのは難しい。僕の返答は分かりにくかったに違いない。
事務所からの帰り道、思い返せば思い返すほど恥ずかしさでいっぱいになる。しかし、また良い経験をさせてもらったと前向きに捉えよう。