31 October 2009

カルメ・ピノス


今週月曜日、建築家協会にカルメ・ピノスの講演会を聴きに行く。ミリャーレスの元パートナー(ということしか僕は知らなかったけれど)であった彼女が自身の事務所を設立してどんな作品を作っているのか興味があった。彼女が自身の事務所を設立したのは1991年というもうかなり昔のことらしい。

コンペで勝ち取ったバルセロナにある広場の改修プロジェクトから講演は始まる。敷地のフィールドワークを行い、それを設計に反映していくプロセスを彼女は説明する。スライドが進むにつれ、彼女がミリャーレスのパートナーであったことを思わせる形体が広場に現れてくる。熱っぽく語られる彼女のスペイン語に耳を傾けながら、「フィールドワーク」などというプロセスについてポルトガルの建築家が語ることはあるだろうか、と考える。逆に言えば、そういった「都市へのまなざし」にこそバルセロナの空気を感じとる。そしてその姿勢に僕は大いに共感した。

ポルトガルの建築家の作品をどういう風に説明できるかということを最近考えている。彼らにとってコンテクストというものが重要な手がかりであることに変わりはない。作品を見れば「大地の建築化」、あるいは「建築の大地化」とでも呼べそうな質の高い作品がたくさんある。しかし、「都市へのまなざし」というものは、それとは違う。

講演会はその後、メキシコのトーレ・クーベ(これは雑誌で見たことがあった)などの作品を紹介して終了する。ちなみにこの講演会は「MADE IN SPAIN」というスペインの現代建築をプロモートするプロジェクトの一環で、他にもミラノでマンシーリャ・イ・トゥニョン、パリでバスケス・コンスエグラが講演を行う。その際、現地の建築批評家も講演会に同席するという企画。肩肘張らない、かつ、効果的に見えるこのプロモーションの方法はうまいなと思う。

16 October 2009

ポルトガル、プレーオフ進出を決める

先週末、ポルトガル対ハンガリーの試合をルス・スタジアムに観戦に行く。ワールドカップ予選終盤のポルトガルにとって負けられない重要な一戦。その時点でポルトガルはグループ3位で、相手のハンガリーも同勝ち点で4位につけている。同じ日にグループ1位、2位のデンマークとスウェーデンがコペンハーゲンで対戦。上位4チームに出場の可能性が残っていた。

スタジアムで試合開始を待っていると、先に試合の始まっていたデンマーク-スウェーデン戦の結果が場内にアナウンスされる。デンマークが終盤にゴールを決めて、1-0で勝利。デンマークは1位通過を決め、ポルトガルとプレーオフ出場権を争っていたスウェーデンは痛い敗戦。スウェーデンが勝ってしまうと、ポルトガルにとっては非常に厳しい状況となっていただけに、スタジアムは歓声に沸き、安堵感に包まれる。これで目の前のハンガリー戦に勝てば、残り2試合でポルトガルは逆転でプレーオフに進出するという絶好のチャンスが到来したわけである。

前タームのアウェー2連戦で苦しみながらも勝ち点を積み重ねたポルトガルは、依然として絶好調とは言えないものの、次第に調子を取り戻していた。デンマーク戦では攻め続けながらも先制を許す厳しい展開であったが、ポルトガル国籍を取得したばかりのリエゾンが後半から途中出場して貴重な同点ゴールを決めた。その後もリエゾンには勝ち越しゴールを決めるチャンスが何度かあったが、ポルトガルリーグで2度の得点王に輝いた実力を見せ、文字通り救世主となった。

そしてこの日のホームでのハンガリー戦。先発メンバーがスクリーンに発表され、そのリエゾン、怪我で出場が危ぶまれたロナウド、シマォンなどの名前が呼ばれると大歓声が起きたが、監督カルロス・ケイロスの名前は大ブーイングで迎えられた。苦戦を強いられている原因は主にケイロスの采配の悪さと言われても仕方がなかった。しかし、二人の怪我を抱えた選手の存在がケイロスを救う。ベンチ入りできなかったティアゴに代わって代表初先発したグラスゴー・レンジャースのペドロ・メンデスが中盤のパス回しを潤滑にしたし、試合中怪我の悪化したロナウドに代わって入ったナニは前線でタメを作ることができた。そういったプレーをポルトガル代表は明らかに必要としていたし、それによって攻撃に厚みが増した。今後もロナウドの控えに回る可能性が高いが、ナニは自分がマンチェスターで成長していることを証明した。ロナウドに代わってキャプテンマークを付けたシマォンはデンマーク戦でチャンスを外し続けた汚名撤回とばかりに気持ちの入った2ゴールを決めた。そして代表のストライカー不足の穴を埋めたリエゾンはジャンピング・ヘッドで代表2ゴール目を決め、チームは久しぶりに快勝した。

完全に自信を取り戻した選手達は、予選最終戦を格下マルタ相手に4-0で快勝し、プレーオフ進出を決めた。監督の問題とロナウドが怪我を長引かせてしまったことは気がかりだが、ポルトガルはワールドカップにもう少しで手が届くところまで来ている。

15 October 2009

滞在許可証を90パーセントの確率で更新する

ビザを更新するために外国人管理局、SEFへ行く。何度更新しても、その度にビザに関する法律は変わり、自分の置かれた立場も変わるために、二度と同じ書類で通ることはない。だから何かケチを付けられるだろうと覚悟して行くし、今回も当然のように一度では書類を受け付けてもらえず、今日が実は先月に続き二度目である。

昨年と比べ一つだけ改善されている点があった。それは手続きが遅れた場合の罰金に関することである。前回までは「手続き完了日」が、ビザの有効期限の一月前を過ぎると罰金を払わなければならなかった。SEFで手続きをするには事前に電話かインターネットで予約する必要がある(以前はこのシステムも存在せず、更新のためには早朝から整理券をもらうためにSEFの前には長蛇の列ができていた)が、例えば今回のように7月に予約をしようとしても既に予約でいっぱいで、結局9月にしか手続きを行えないというようなことが起こる。そうすると、その時点で、前もって予約をしようとしたにも関わらず、罰金が発生し、今回もそれを覚悟していた。しかし、そういう事態を予測することはほぼ不可能であり、さすがに苦情が殺到したのか、今回からは「予約を行った日」が有効期限内であれば、罰金は発生しないように改善されていた。

そういった改善されている点もあることにはあるのだが、やはりSEFが外国人にとって「鬼門」であることに変わりはない。今回も仕事の契約書の有効性について指摘をされる。僕が提出した書類ではいまだに仕事を続けているかはっきりとしないというのである。言われてみれば確かに曖昧な表現ではあったが、社会保険料の徴収明細を見れば、僕がその会社で働いていることは明白である。そう説明してみたが、ミスを見つけたと思って一度大きく出た態度を引っ込めることができないらしい。そうなると、本当に、やれやれである。

「とりあえず受け付けるけど、この点は指摘されるかもしれないわよ。これはあなたの問題なのよ。」

僕の滞在許可証は僕自身のために存在するのであって、その問題は僕の問題である。あなたの問題では決してない。しかし、あえて心証を悪くするのは得策ではないので、反論もしない。そう、これは僕の生活の問題なのだ。さらに言えば、おそらくこの点を後から指摘してくることはないだろう。なぜなら、第一に事実は僕が説明した通りであるし、第二に彼らが好んで煩雑な仕事を増やそうとするとは到底思えないからだ。

10 October 2009

(IN)VISIBLE TIME


日本の現代建築家展第2弾がリスボンで開催されている。企画者は前回の建築家協会の展示「(IN)VISIBLE PROCESS」に続き、バルセロナのAnywheredoorの方々。今回は現在リスボンで開催中のデザインビエンナーレExperimenta Design 2009の一環として開催されている。ビエンナーレのテーマが時間であることを受け、今回の展覧会のテーマは「(IN)VISIBLE TIME」。前回の12名の建築家に新たに3名の若手建築家、2名の構造家を加え、日本における建築周辺の見えない(invisible)要素を解説(visible)することで、建築と環境の関係を再考することを試みている。

オープニングの翌日10月9日には、Skypeによるビデオ・カンファレンスが行われ、早朝の東京と夜のリスボンをつないだ臨場感たっぷりの講演会が行われた。また、その日は前座として日本の家に関するごく短い解説をさせて頂いた。個人的な話から日本の家に関するイメージを持ってもらうことを目的に話した。

03 October 2009

週末とルームメイトについて

週末であることを最初に認識するのは、朝食をとっている時である。その日に予定がなければ、時間を気にせずに食べることができるし、それが何時であろうと僕が起きて最初に口にするものが朝食であるという絶対的な気楽さがある。それは確実に平和な週末が訪れたことを伝える小さなイベントなのだ。パンを包丁で2つに裂き、それをホットサンドメーカーに挟む。ポルトガルのふかふかとした厚みのあるパンをホットサンドメーカーに挟むと、主に周辺がトーストされ、中央にうっすらと焦げ目のついたトーストができあがる。トーストを待っている間、先に起きたルームメイトがいれたコーヒーをカップに注ぎ(ルームメイトがいるというのはこういうことだ)、読みかけの本を読む。2ページくらい読み進めたところで、トーストはできあがる。そして、トーストを食べ終わると、また本の続きを読み進める。トーストを待つことと食べること、コーヒーを飲むことと本を読むこと。週末にはそれら全てが等しい価値を持ち、平等に時間を与えられているのである。