パウロ・メンデス・ダ・ロシャの『Maquetes de Papel』を読み終える。2006年にサン・パウロで行われた「模型ワークショップ」におけるメンデス・ダ・ロシャのレクチャーを収録したもの。2年前にリスボンで聴いた彼のレクチャーの様子を思い浮かべながら読み進めた。そのとき、力強く、溌剌としゃべるのが印象的であった。
「5分で一つ模型を作る。あなたのためであって、誰かに見せるためではない。構造家が算出した寸法をすでに持ち合わせた模型を作る。枕を高くして眠れるように模型を作る。ああ、これは完璧だ、うまく行くに違いない!と言うために模型を作るのだ。プロポーションを整え、紙で作った人形を一つ置き、それがきちんと立つように下からピンで留める、ちょうどパトリアルカの銅像と同じ高さになるように。そこで腰をかがめて模型を眺める、誰もあなたのことを見ていない、一人っきりで模型を眺めてみる、、、。詩人のように、アルコールをもう一口含み、タバコをさらに一本吹かし、窓際に立って、手で髪を梳いてみるのだ。誰かが見るためのものではない。そこでもう一度模型を眺めて、これだ!と言うのだ。(本文より抜粋)」
模型を作るということは、散らばった言葉を組み合わせて詩にするようなものだ、と彼は言う。模型を作る前から出来上がるもの、あるいは、出来上がるべきものは既に無意識の中にある。散らばった記憶、原体験を呼び覚まし、具現化するために模型を作るのだ。それには「紙」というマテリアルが最適であり、模型をつくるという行為は、潜在意識とプロジェクトを結びつける「調整」そのものである、という視点は非常に興味深い。
29 April 2009
紙の模型
23 April 2009
畑の小魚
「ペイシーニョス・ダ・オルタというリスボンの名物料理がある。直訳すれば、「畑の小魚」。実際は、魚料理ではなく、サヤインゲンのフライである。なるほど見た目は小魚のフライのようである。さくさくとして実に美味しい。 昔、魚が採れなかったときに、タンパク質の代替補給源として考案された料理である。」
「同じく、リスボン名物の料理にパタニシュカスという料理がある。これは主にバカリャウなどの白身魚をフライにしたものであるが、見た目も味も、日本のサツマ揚げに大変良く似ている。九州にはポルトガルの食文化と密接に関わりのある名物が数多く存在しているが、 パタニシュカスも「サツマ」揚げの起源となった料理である。」
と、僕は思うんだけどね、というと、「あー、なんだ、君が考えたことか」とがっかりした顔を僕に向ける。実際の体験から導いた考察などはどうでも良くて、ウィキペディアとかに書いてないと彼らは納得がいかないのである。
20 April 2009
ついに雨が止む
今週末は久しぶりに週末出勤。リベルダーデのプロジェクトを続けている。今月中に終わらせないとな。終わるかな。しかし、エンジニアはのらりくらりと提出を延ばしてくる。そうさせてしまっているのは、自分の責任でもある。家主にはばしっとクレームをつけることができるけれど、事務所の長年の付き合いのエンジニアにはついついはばかられてしまうんだな。というか、ポルトガル語でうまい言い回しができないんだな。というか、結局「言い回し」のような言い方ではエンジニアは期限を守らないんだけどね。周りはみんな喧嘩してるもんな。喧嘩してみるか。
リスボンは久しぶりに晴れ。左は事務所設計の「ケーリャシュの住宅」。改修プロジェクト。アズレージョがとってもきれい。
ランブレッタ
最近、「ランブレッタ」が密かなブームになりつつある。ランブレッタとは150mlの小さなグラスに注がれたビールのことである。4年前、通常のスタイニーボトルより小さめの「ミニ」(200ml)が販売されはじめ、そのショット感覚と冷蔵庫ですぐに冷えるという利点から今でも人気であるが、今回はさらに50ml少ないランブレッタがバルに登場。本来、バルのカウンターでワインが注がれる小さなコップのことをランブレッタと呼ぶそうで、今回はポルトガルのビール会社スーパーボックがワインの代わりにビールを入れて「再登場」させた。
もともと、ポルトガルではジョッキのような大きな容器に注いでビールを飲むという習慣はない。ポルトガルのビールは他の日差しの強い国のビール同様、味わって飲むというよりも、のど越しを重視したビールであり、少量を冷たいうちに飲むことが重要であるからだ。このランブレッタを扱うバルやレストランを、まだそれほど多くは見かけていないけれど、そのうち、「ウマ インペリアル!」の代わりに「ウマ ランブレッタ!」という声がバルで響きわたることになるかも。
14 April 2009
ポンバリーナ
シザを始めとしたポルトガルの白い現代建築でもなく、『ポルトガルの大衆建築』に出てくるようなその土地特有の建築様式でもなく、ポルトガルで忘れてはならない建築の種類として、ポンバル様式がある。18世紀半ばのリスボン大地震後にバイシャ地区に再建された建築物群がその最も有名な例であるが、リスボンに限らず、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオなどの地方都市にもポンバル様式の建物を見ることができる。またそれに限らず、ポンバル様式はポルトガル全土に都市建築のプロトタイプとして広がった。
ポンバル様式に関する本を今読んでいるところであるが、地震後にすばやく町を再建すべく合理化された建設手法、そして耐震構造が特徴的である。そういった建物の仕組みに関しては様々な知恵が結集されており、読んでいて「なるほど」と思う点がたくさんある。しかし、いざ現在のバイシャ地区を歩いてみると、そこは都市の魅力のない「さびれた」町である。起伏のあるアルファマなどの他の地区に比べて見劣りする。観光客向けのまずくて高いレストランの客引きと、トレースしただけの絵を売る「絵描き」がせいぜい賑わいを作っているだけである。
バイシャ地区をグーグル・マップで見てみると、南北方向の地震動を考慮した南北に細長いブロックが整然と並んでいる。その両端にはコメルシオ広場、ロシオの2つの広場が避難場所も兼ねて計画された。大地震以前の土地、建物の所有者に十分な面積が再配分されるように、教会を退去させてまで(これには政治的な理由もあるが)同じ形式の建物が並べられた。それは地震後の都市計画としては万全のものであったのだろう。しかし、現代の視点から見ると、通りは狭く、4階建てという基準が時代とともに無視されて行ったために、暗い。その狭い通りに車道が設けられれば、街路樹を植えるスペースがない。中庭を最小限に狭めてまで面積を広く求めたために地上階部分のみならず、バックヤードは暗くてじめじめとしている。その大量の床面積は現在のポルトガルの経済力からすれば過剰であり、閑散とした雰囲気を作り出している。唯一の頼みであったオフィスも、耐震性、そして歴史的価値のあったはずの建物に惨憺たる改変をした挙げ句、オフィスビルの要求性能が上がるにつれ郊外へと移転していった。
こんな風にバイシャ地区は悪循環に陥ってしまっている。地震に強い、都心の高密建築物群はその潜在能力を持て余している。
12 April 2009
夕食会に招待される
先週のスイス人会でお会いしたK夫妻に夕食に招待される。夕食会には僕以外に3人の日本人研究者が参加。3人ともポルトガルのエネルギー関連施設を視察するためにポルトガル政府に招かれた大学院生である。世界各国から数名の学生が招待されているが、日本からは4名の枠のうち、2人しか埋まらなかったそうである(一人はアメリカの大学院在籍)。ポルトガルは再生可能エネルギーの研究に力を注いでいるようで、その施設を各国選りすぐりの学生達に見てもらうと同時に、若手研究者間のネットワークを形成することを目的にこの視察を設けたようである。こんな有意義な視察に日本は4名送ることができなかったというのは非常にもったいない。若手の人材交流ほど将来につながるものはない。アメリカからは10名が参加した。
K夫妻は南アフリカに滞在の経験があるが、日本代表にはワールドカップに参加してほしくない、とおっしゃていたのが興味深かった。それほど危険であるとのこと。ご知り合いの2家族が在宅中に強盗に遭われ、ひどい目にあわれたそうである。白昼堂々とショッピングセンターで銃撃戦が起きたり、守衛を雇っても守衛が強盗を手引きしたりと生活するのはかなり困難ということである。よくもまあそういうところでワールドカップを開催することにしたものだ。しかも肝心の南アフリカ代表はかなり弱そうなので、とんでもないことが起きそうだな。ワールドカップは各国の安全な広場、またはスタジアムでパブリック・ビューイングしましょう。
それにしても、ポルトガルの出場はかなり苦しくなって来たなあ。
04 April 2009
フォンデュ
昨日は仕事の後、同僚のフレデリコとスイス人会のパーティへ行く。フレデリコは両親はポルトガルの出身だが、生活の場はスイスにあり、彼自身も大学まではスイスで生活している。国籍もポルトガル、スイスの二重国籍である。
昨日は彼が所属するリスボン・スイス人会の会合であり、それに合わせたチーズ・フォンデュ・パーティであった。本来、日本人である自分の出る幕ではないけれど、フレデリコに誘われるがまま出席。すると、意外にも他にも一組の日本人夫妻が出席されていた。さすがに多言語国だけあって、このスイス人会の共用語はポルトガル語である。会にはおそらく何十年もポルトガルに住んでいるような年配の方が多く、ポルトガル語で活発な議論が交わされる。傍観者の自分までついつい引き込まれてしまうほどである。「海外生活」という枠が無意味なものに思える程、彼らはただ、自分たちが属するコミュニティの質をいかに向上させるかということを真剣に考えている。
チーズ・フォンデュには、キルシュというドイツの蒸留酒が入っていることを知る。二種類のチーズに白ワインを加えて熱し、途中で水で溶いたコーンスターチを加え、沸騰したら黒胡椒を加えて火を止める。フォンデュ・セットさえあればかなり簡単な料理である。パンをキルシュに浸して、チーズにからめるというアダルトな食べ方も教えてもらう。
その後、フレデリコとバイロ・アルトにビールを飲みに行く。マリア・カシューシャ、ラウンジとはしごする。ラウンジで元ルームメイトのアントニオが働いているのを発見。懐かしいな、アントニオ、そしてあのインテンデンテの家。ラウンジは彼の友人が始めたお店であるが、いつの間にかかなりの人気スポットになっていて、身動きがとれない程の混み具合である。音楽も他よりちょっと洗練されている感じがして、なかなか好きな場所である。午前4時に帰宅。
03 April 2009
撃沈
毎週木曜日恒例のフットサルの日。今日の対戦相手は、RISCO。FCポルトのスタジアムなど規模の大きい仕事をしている事務所。今日も張り切って行こう、と思って試合に望むも開始約10分くらいで相手ゴールキーパーと接触して倒れ込む。相手の膝がスネを直撃。この野郎、と思いつつも、痛くて痛くてただ倒れ込む。ヒビでも入ったのではないかと思うくらいの衝撃だったのでそのまま退場。幸いちょっと深めの擦り傷で済んだけど、今日はがっくり。スネ当ての必要性を痛感した日。