2006年は個人的にはいろんな変化のあった年だった。
1月、コーディネーターのスザンナから、もうちょっと居てみないか、という提案があった。もちろん、僕はその気でいたから、即座に了承した。これで給料も上がった。
2月には母校の大学とリスボン、バレンシアをメインに産業跡地の調査を行った。
5月には、ずっと住んでいたインテンデンテからアヴェニーダへ引っ越した。同僚のマリアから彼女の住居の2階部分を借りた。今までのルームシェアと異なり、バス・トイレ、キッチンを専有でき、一人暮らしに近い状態になった。もっとも、住居が整うには8月くらいまでかかった。
6月は、ビザの関係で日本へ一時帰国した。手続きがいろいろと面倒だった。でも、やはりこれはやっておいて良かったと今になって思う。ワールドカップのあった時期でもあり、日本の初戦のオーストラリア戦は日本で観戦した。ポルトガルがベスト4まで進み、ポルトガルは大いに盛り上がった。
7月は夏休みを待っていた。
8月上旬はリスボンからスペイン北東部まで、バスを使って旅行をした。バカンスを甘く見て、宿を見つけるのにかなり苦労した。下旬には彼女がリスボンに長期滞在して、この時に部屋がかなり整った。
9月、パスポートを郵送するという危なっかしい手段でビザのタイプ変更の手続きが無事完了した。大学の後輩にいろいろとお世話になった。
このおかげで、10月にさらに給料が上がった。想像以上の増額で、これで給料に関しては不満がなくなった。コンペの提出が3つもあり、かなり働いた月でもあった。下旬にはエクスナレッジのアズレージョ取材に同行した。リスボン再発見の月であった。
11月には今までいろいろとお世話になったみやべさん夫妻が日本へ帰国された。今は日本からの留学生と仲良くさせてもらっている。事務所では担当のプロジェクトが始まった月でもあった。
12月、クリスマスはスペインで、年越しはリスボンで過ごした。