東京、京都での展示を終えて、今は実家のある福岡で過ごしている。このあと、またリスボンに戻る。約1年半をかけて準備して来た今回の展示について少し振り返っておこうと思う。
まず、僕が準備をしながら感じたのは、ポルトガルと日本という2つの国の「距離」の問題だ。これは物理的な距離のことであり、時差のことであり、異なる文化のことである。協賛金をお願いするにも、会場を探すにも、直接相手と会うことなく、メールや電話を通して交渉していかなければならない。電話をするにも、時差の関係上、ポルトガルの深夜2時、3時まで待って電話をかけるような日々が続いた。
次に、いかに自分たちを「正当化」するか、という問題だ。僕らは一建築事務所に勤める一所員であったし、ポルトガルという国を代表して、日本でその建築を紹介するということを、どのように伝えたら良いのか。これは日本で、というより、ポルトガルで準備を始めたころにぶつかった壁であった。こちらの意図を伝えるためには、必ずしもコネが通用するわけではなく、結局のところ、相手の心を打つような文章を書いて説得するしかなかった。僕らには「実績」はないけれど、良い「アイディア」があることには自信があったし、それを少しずつ身近な所から説得していく必要があった。
この「正攻法」を続ける限り、プロジェクトの無駄な部分を極力省いていく必要があった。それで結果的には、主張の明確な展示が出来上がったと思う。展示の内容についてはほとんど誰に気を遣うこともなく、僕らが良いと信じるものをやることができた。
南洋堂書店で「建築系ラジオ」に出演したとき、一緒に出演したリカルド・バック・ゴルドンが、僕らのつけた「Tradition is Innovation」というタイトルや、「ロンドンで働くポルトガル人とリスボンで働く日本人という若い二人の建築家による視点」について言及してくれたが、考え抜いたアイディアというのは特に説明しなくても通じるものだということを改めて実感する。そして、今回インタビューを行ったポルトガル人の建築家ひとりひとりにコンタクトをとり、インタビューを収録しながら信頼関係を作り上げていくことも重要だった。結果として、東日本大震災後にも関わらず、ポルトガルから4名の建築家を日本に招待することができた。
しかし、このような準備段階の苦労話だけを記しておきたいわけではなく、この展示を終えてから考えることもたくさんあった。東京の展示会場では、ギャラリーの意向もあり、来場者に対してアンケートを実施した。そこには様々なコメントが寄せられたのだが、僕が注目したのは「ビデオが長い」とか「模型がない」というコメントだ。これはある程度予想されたコメントではあった。
この展覧会の副題は、「ポルトガルの現代建築展」である。もちろん主題の「Tradition is Innovation」だけでは、何の展示であるか見当がつかないので、必要不可欠な副題であった。しかし、「建築展」と呼ぶ割には、この展示には模型もパネルもなかった。模型をポルトガルから輸送する、あるいは現地で作成するというのは、かなりの労力と資金を必要とし、そういう経済的な制約があったのは事実だし、何より「建築展」というものを今一度考え直してみたいという気持ちがあった。だから、確信犯的にこの「建築展」というタイトルをつけた。
実際に来場者の中には、会場に入るや否や、模型はどこだとばかりに会場内、あるいは会場外を見渡し、探し始める人がいた。「模型はないんですか?」と聞いてくる人もいた。そして仕方なく椅子に座り、ビデオを見始める。このビデオの長さというのは僕たちもかなり神経を使った。長過ぎると見てくれないのではないか、そういう危惧はあり、なるべくコンパクトに収めようとした。その作業過程で、これ以上はカットしたくないという地点に到達する。僕らは建築家たちの話し振りや雰囲気、いわば「行間の意」を感じ取ってほしかったからだ。結果的に約1時間の長さにまとめた。
建築展というのは何か、というのを考えるきっかけにしたかったし、何かを理解するにはそれなりの時間が必要であるということを感じてほしかった。上記のようなコメントは主に若い学生を中心とした年代層からよく聞かれた。きっと彼らは模型やパネルなど情報満載の、きれいにレイアウトされた展覧会に慣れているのだろう。そして彼らのスケジュールは、そのような展覧会の予定でぎっしりと詰まっているに違いない。そうやって、短時間でたくさんの展覧会、情報を「こなし」ていく。もちろん、時間がなく、やむを得ず会場をあとにする来場者に対しては申し訳ない気持ちもあったのだけれども、少々の衝突を起こしてみたかった。
また、京都で2日間だけ開催したということも重要なことだった。映像だけという展示形式が為せる技ではあったが、そこでわずかな人数だけだが新しい出会いがあった。「Exhibition is Action」と言った人がいるが、僕はその言葉に大いに共感する。
このように所々で壁にぶつかりながら、あるいは意図的に衝突を起こしながらも、この展覧会は世界を巡回しそうである。来月にはサンパウロ、来年にはリスボン、ジャカルタ、あるいはロンドン、バルセロナという可能性が出て来ている。東京や京都での展示は、端緒であり、その重要さに変わりはないが、この展示はこうやって世界を回ることでその主張が益々明確になってくるのではないか、と考えている。反省すべきこともたくさんあるが、とりあえず今は協力して下さった全ての方に対して感謝したいと思う。