シザを始めとしたポルトガルの白い現代建築でもなく、『ポルトガルの大衆建築』に出てくるようなその土地特有の建築様式でもなく、ポルトガルで忘れてはならない建築の種類として、ポンバル様式がある。18世紀半ばのリスボン大地震後にバイシャ地区に再建された建築物群がその最も有名な例であるが、リスボンに限らず、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオなどの地方都市にもポンバル様式の建物を見ることができる。またそれに限らず、ポンバル様式はポルトガル全土に都市建築のプロトタイプとして広がった。
ポンバル様式に関する本を今読んでいるところであるが、地震後にすばやく町を再建すべく合理化された建設手法、そして耐震構造が特徴的である。そういった建物の仕組みに関しては様々な知恵が結集されており、読んでいて「なるほど」と思う点がたくさんある。しかし、いざ現在のバイシャ地区を歩いてみると、そこは都市の魅力のない「さびれた」町である。起伏のあるアルファマなどの他の地区に比べて見劣りする。観光客向けのまずくて高いレストランの客引きと、トレースしただけの絵を売る「絵描き」がせいぜい賑わいを作っているだけである。
バイシャ地区をグーグル・マップで見てみると、南北方向の地震動を考慮した南北に細長いブロックが整然と並んでいる。その両端にはコメルシオ広場、ロシオの2つの広場が避難場所も兼ねて計画された。大地震以前の土地、建物の所有者に十分な面積が再配分されるように、教会を退去させてまで(これには政治的な理由もあるが)同じ形式の建物が並べられた。それは地震後の都市計画としては万全のものであったのだろう。しかし、現代の視点から見ると、通りは狭く、4階建てという基準が時代とともに無視されて行ったために、暗い。その狭い通りに車道が設けられれば、街路樹を植えるスペースがない。中庭を最小限に狭めてまで面積を広く求めたために地上階部分のみならず、バックヤードは暗くてじめじめとしている。その大量の床面積は現在のポルトガルの経済力からすれば過剰であり、閑散とした雰囲気を作り出している。唯一の頼みであったオフィスも、耐震性、そして歴史的価値のあったはずの建物に惨憺たる改変をした挙げ句、オフィスビルの要求性能が上がるにつれ郊外へと移転していった。
こんな風にバイシャ地区は悪循環に陥ってしまっている。地震に強い、都心の高密建築物群はその潜在能力を持て余している。