13 November 2006

ワインにまつわる話

16、17世紀のポルトガルに富をもたらしたものには、胡椒、砂糖、金、ダイヤモンド、奴隷、ワインなどがあるが、この中で唯一ポルトガル国内で生産されていたものがワインだ。このワイン貿易がうまくいったのは、ポルトガル産ワインの質が高かったからではないそうだ。

ポルトガルのワイン貿易の取引先はイギリスだった。イギリスとの間には1703年にメシュエン条約という名の通商条約が結ばれ、ポルトガルのワインをいつ何時でも優遇するという承認がイギリスのアン女王によってなされている。イギリスがポルトガルのワインを優遇したのは、フランスとの不安定な関係のためであり、イギリス人もできればボルドー産の質の高いをワインを取り寄せたかった。ボルドーワインの代替として、スペイン産よりも「まし」なポルトガル産ワインが選ばれた。具体的にはフランス産ワインに比べて、ポルトガル産ワインは3分の1の関税で済んだ。

イギリスへのワイン輸出の中心となったのがポルトであるが、そこで実際にワインを生産していたのは、資金も豊富なイギリス人だった。そこで生産されたワインにイギリス人がブランデーを混ぜ始めたのが「ポートワイン」の始まりであり、利益は大幅に増加した。地震後の復興計画で有名なポンバル候は、ポルトガル産のブランデーを使用するように圧力をかけたが、イギリス人はフランス産のブランデーを使用していた。

ポルトガルの栄光の時代は常に胡椒、砂糖、金、ダイヤモンドなど、原料の輸出によるものであり、国内の産業は他のヨーロッパ諸国に大きな遅れをとっていた。国内で作られるワインでさえもイギリス人の手によるものであったことが、そのことを物語っている。ポルトガルの植民地であるブラジルにおいてさえ、ブラジルが金で潤い出すと、母国ポルトガルの製品より品質の高いイギリス製品が好まれた。