Interview to Tomás Taveira

EURO2004の開催国ポルトガル

―― あなたはポルトガルで開催された2004年サッカー欧州選手権(EURO2004)で、3つのスタジアム[*]をデザインされました。今回は、その3つの スタジアムを中心にお話をお聞きしたいと思います。大会が終了して4年が経つ現在、EURO2004がポルトガルにとってどのような意義を持っていたとお 考えですか?
(*「ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム」(2003、リスボン)、「アヴェイロ市スタジアム」(2003、アヴェイロ)、「マガリャンイシュ・ペッソア博士スタジアム」(2003、レイリア))

トマシュ・タヴェイラ(TT)  EURO2004は、二つの視点から見ることができます。一つは政治です。ポルトガル政府は、当時活躍していたルイ・コスタ、フェルナンド・コウト、クリ スティアーノ・ロナウド、フィーゴ、パウレタなどのポルトガル人選手をうまく利用して、国をアピールする絶好の機会と捉えたのです。こうした政治的な意味 でのEURO2004は成功したと言えるでしょう。このイベントによって、世界中の人たちがポルトガルを知ることになったからです。これは日韓ワールド カップでも同じことが言えるでしょう。二つ目は、スポーツ・インフラという視点です。実際、3つのメジャー・クラブ、スポルティング・リスボン、FCポル ト、ベンフィカがこの機会をうまく利用しました。これら3チームは、15日毎に少なくとも3万人の観衆を集めています。しかし、その他の地方都市に本拠地 を置くチームでは、EURO2004終了後、成功を収めている例はあまりありません。アヴェイロやレイリアのスタジアムは、資金面で余裕のない各クラブ チームの所有ではなく、それぞれの市が運営母体となっていますが、どちらもうまく活用されているとは言えませんね。

――EURO2004に合わせ、ポルトガルには10のスタジアムが建設されています。このことからも、このイベントが欧州の小国ポルトガルに与えた影響は大きかったと想像されます。建築家の立場からはこのイベントはどのように映りましたか?

TT  まさに「ビッグ・ゲーム」でした。住宅やオフィス、商業施設などの設計に比べて、このようなプログラムを要求される機会は、建築家にとって日常的でなく非 常にまれだからです。幸運にも、スタジアム建設に携わることができた建築家は、新たなノウハウを得て、海外の国際コンペやプロジェクトに応用していくこと ができました。まだ発展途上の国々では、スタジアムのような特別で複雑なプログラムを要するものには、自国の技術水準の向上を待つよりも、海外の優れた建 築家を呼ぶ方が得策なのです。そんな理由で、私はサンクトペテルブルグのスタジアム・コンペに勝つことができたのです。しかし、結果的には新しいスタジア ムは黒川紀章の案で建設されていますが……。まあ、それは政治的な決断で、しばしば起こることです。私はポーランドでの新しいスタジアムのコンペに勝ちま したし、現在ブラジルでもスタジアムを設計しています。また、アンゴラでも様々な種類のスポーツ施設を手がけています。これらは全てEURO2004の経 験から来るものなのです。

現代のスタジアムに求められること

――EURO2004 で、あなたが設計した3つのスタジアムに共通しているのは、大小のボリュームの重なりと、カラフルな色使いです。それは、スタジアムを都市の中でとても目 立つ存在にしています。 そうではなくとも、スタジアムは大規模な建築物であり、都市の中においてとても目を惹く存在です。「 ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム」を例にすれば、リスボンの町との関係について、何を意識されましたか。

TT  スタジアムを建設する場所は建築家によって決められるものではありません。それはクラブチームや自治体によって決定されるものです。建築家ができるのは、 プログラムを尊重することです。スタジアムの収容人数は、そのヴォリュームをおおよそ決めてしまいます。例えば、「ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム」 は5万2000人を収容しますが、5万の一般用の座席と2000のメディア用の座席というように配分されるのです。私の意図は、そのようにして決められた ヴォリュームを分割するということでした。例えば、ブラジルの「マラカナン・スタジアム」や「ミレイナ・スタジアム」を見れば分かるように、スタジアムは ずっしりとした塊です。私はこの巨大なヴォリュームをいくつかの小さなヴォリュームに分割することを考えたのです。例えば、屋根はスタジアムの上に浮いて いるわけですが、それは浮遊感を与えています。スタンドはいくつかの階層に分かれていますし、階段室も個別のヴォリュームとして存在しています。巨大な ヴォリュームの持つインパクトを軽減しようと考えたわけです。これは、例えばサンクト・ペテルスブルグで私が取った戦略とは異なります。そこでは、巨大な ヴォリュームがそのまま存在し、賑やかな光、わくわくさせるような色が存在しています。しかし、スタジアムのロケーションが決定的に異なります。そこは町 はずれの島の上であり、遠くに町の中心部を眺めています。「ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム」とリスボンの町との社会的な関係について言えば、とても 良いと言えるでしょう。誰もがこのスタジアムを知っていますし、誰もが――一般的に言えばですが――このスタジアムを受け入れているからです。日を追う毎 に、スタジアムやこの地域をより多くの人が利用するようになってきており、不動産価値も上がっています。

――「ジョ ゼ・アルヴァラーデ・スタジアム」は、映画館、ヘルス・センター、オフィス、クラブミュージアムなど、単にサッカーを観戦するだけの施設としてではなく、 複合施設として機能していますが、今日のスタジアムには、どのような機能が求められているとお考えでしょうか?

TT  この流れはさらに強まる傾向にあります。これが何を意味しているかと言うと、スタジアムを効率よく運営せねばならないということです。また多機能施設とし て機能させるために、スタジアムに屋根をかける傾向があります。私が現在ブラジルで設計しているスタジアムも開閉式の屋根を備えています。それはサッカー の試合の行われない期間、コンサート、ファッションショー、会議などのイベントを行うためです。スタジアムというものは常に人々を惹き付けなければならな い施設であり、その点を十分意識して設計されなければならないのです。

――あなたはスタジアム以外にも、大規模な公 共建築物を設計されています。その中には、代表作のひとつと言える「アモレイラス・タワーズ」(1985、リスボン)などがありますが、スタジアムはそれ らの公共建築物を設計することとどのような違いがありましたか。あるいはどのような共通点があったのでしょうか。都市へのアプローチの方法をお聞きできた らと思います。

TT アモレイ ラスは、バスや市電の集積場のある古びた産業地区で、あまり魅力的な場所ではありませんでした。そこで私は、外観、機能の両面におけるインパクトを与えよ うと考えました。「アモレイラス・タワーズ」は、大規模な集合住宅、広大なオフィス空間、そして多様な飲食店やショップを持つ商業施設で構成されていま す。普段から、たくさんの人々がそこにいるわけですから、その場所が日常的により多く利用されるような機能を与えました。外観という点では、私はそこにリ スボンを象徴するような顔を作ろうとしました。アヴェイロのスタジアムについても同じことが言えます。そこは砂漠のようなところで、道路などは走っていま すが、周囲には何もありません。そこを通り過ぎるとき、スタジアムはまるで宇宙船のように見えます。つまり、都市へのアプローチはおおまかに分けて2通り と言えるでしょう。ひとつはオブジェクトをその場所に挿入するようなやり方、もうひとつはその場所に溶け込ませるようなやり方です。

ポルトガル人建築家としてのスタジアム・デザイン

――サッカーの盛んなポルトガルの国民にとってスタジアムはとても重要な存在であると思います。そのような国でスタジアムを設計するということで何か特別なことはありますか?

TT  それは一時的な差なのだと思います。10年もすれば日本も変わるでしょう。サッカーはいまや巨大なビジネスですから。日本もスタジアムが必要でしょうし、 チームも、優秀な選手も必要です。私は鹿島アントラーズというチームを知っていますが、そこには世界一を経験したジーコもいましたね。FIFAクラブワー ルドカップも日本で開催されています。イングランドのサッカーもアメリカの野球も、スポーツビジネスという点では同じ傾向にあるわけで、これは世界的な流 れなのです。スポーツビジネスという点でも、世界はフラットになってきています。例えばポルトガルと日本のサッカーに違いがあるのは、それはその国の一般 の人々がどう考えるかよりも、ビジネスに携わる人々がどう考えるかの方が直接的に影響しているのではないかと思います。たまたま、日本ではサッカー文化が サッカービジネスに追随するものであり、ポルトガルではその逆だということでしょう。しかし、最終的にはフラットになると思っています。

――「ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム」は、熱狂的なファンで有名なスポルティング・リスボンのホームスタジアムです。そのスタジアムをデザインすることに対するプレッシャーはありましたか。

TT それはありませんでした。ファンからというよりも、むしろ、クラブの経営者からのプレッシャーがありましたが、90パーセントは自分がやりたかったことができたと思っています。

――ファン、選手という要素を考えたとき、スタジアムを設計する上で留意されたことは何ですか。

TT  観客のことを考えると、まず快適であること、そして、衛生的であることです。日差し、風雨からの保護、清潔なトイレ、心地よいバー、レストラン、そして明 快な動線計画です。私はスタジアムを4つのセクターに分割しています。あなたがチケットを買えば、どのセクターのどの階のどの座席かがすぐに分かり、そこ に容易に辿り着けることが大切です。安全性の問題もあります。スタジアムは8分間で空っぽになる必要があります。その際に人々がパニックにならないよう に、問題なくスタジアムから外へ出ることができる必要があります。選手の立場に立って考えることも大事です。野球場を設計する場合には、スタジアムの1年 間の気温、気圧、風速についてシミュレーションをする必要があります。さまざまな面で選手のプレーに影響がありますからね。現代のスポーツはビジネスの側 面が強いため、建築家は効率良いスタジアムを設計せねばなりません。私のスタジアムは完全に閉じており、人々はピッチにとても近い場所から観戦できます。 観客がスタンドにいることを感じられることは、選手や試合にとってとても良い雰囲気を作り出していますし、気温や気圧、風速の影響を軽減することもできて いるのです。それによって選手は自分が意図したところにボールを蹴ることができます。ボールは年々軽量化されていますからね。私が子どもだった頃、ボール はとても重たくて、蹴ると痛かったりしましたが。ですから、スタジアムは以前にも増して閉じられている必要があるのです。

――国内外を問わず、あなたがスタジアムを設計する上で参考にされたスタジアムはありますか?

TT  ありません。1990年から私はスタジアムを設計し始めましたが、自分自身でスタジアムに関する大量の調査を行いました。ですから、今では多様な条件に応 じてスタジアムを設計することが私には可能なのです。現在、ブラジル、アンゴラ、ポーランドで5つのスタジアムを設計していまが、ブラジルのサンパウロで はあらゆる天候に対応した開閉式の屋根を備えたスタジアムを設計しています。

スポーツ愛好家の横顔

――あなた自身にとってサッカー、スポーツとはどういうものですか?

TT  私は若い頃、ベンフィカでプレーしていました。しかし、高校入学とともにサッカーをやめざるを得ませんでした。当時は、サッカーでは何のお金にもなりませ んでしたからね。でも、今またサッカーを楽しんでいますよ。毎週日曜日に仲間たちとプレーしています。それ以外の日も、テニスをやったり、ジムに通ったり しています。スポーツは私にとってとても重要なものです。サッカーを観戦するのも大好きです。でも、普段はスタジアムへ足を運びません。ポルトガル・リー グの試合よりも、家でテレビでマンチェスター・ユナイテッドやリヴァプールの試合を見る方が好きですね。

――お気に入りのサッカー選手は?

TT  一人だけ挙げるのは難しいですね。FCバルセロナのリオネル・メッシ、リヴァプールのジェラードも好きです。マンチェスター・ユナイテッドのアンダーソン やクリスティアーノ・ロナウドももちろん好きです。アーセナルのセスク・ファブレガスやアデバヨールもいい選手ですね。彼らはみなトップクラスの選手です が、成功するかどうかはチームの状態次第です。例えば、メッシはアーセナルにいればもっと活躍をしたと思いますよ。(了)


トマシュ・タヴェイラ
1938 年リスボン生まれ。1968年リスボン美術学校建築学科卒業。1971〜1977年リスボン美術学校で教鞭を執る。1977〜1978年マサチューセッツ 工科大学にて都市地域計画学を学ぶ。スタジアム以外の代表作にシェラスの集合住宅(1978年)、アモレイラス・タワーズ(1981年)、国立海外銀行 (1983年)などがあり、ポルトガルにおけるポストモダニストとして注目を集めた。また建築プロジェクトのみならず、国内を中心に多数の都市計画プラン を手掛けている。

(X-Knowledge HOME 特別編集 No.11『スポーツも建築だ』より抜粋)