昨日は仕事を休んでビザの更新に行ってきた。ビザの更新には、外国人管理局(Serviço de Estrangeiros e Fronteiras、SEF)に行かなければならない。7月に一度SEFに行って必要な書類を聞いていたので、あとは書類を提出すればよかったのだけれど、実は昨日が3度目だった。
1度目。9時半くらいにSEFへ行く。整理券を取って待つ。整理券には2種類あり、書類が全てそろっている人のための書類提出用(A)と、とりあえず質問したり、情報を知りたい人のためのインフォメーション用(B)とがある。この日はすでに提出用は締め切られていたが、自分自身、必要な書類が全てあるか確信を持てなかったので、とりあえず「B」の整理券を取って待つ。待つこと6時間、ようやく係りの人と話すことができた。彼女が僕のパスポートを見ながら、
「あなた2年前にもポルトガルに来てたの?私の息子も2年前日本に行ってたのよ。東京と九州。」
なんと、彼女は2年前に僕の大学の、しかも僕が所属していた研究室に留学していたセルジオのお母さんだった。さらに言えば、彼は研究室で僕のデスクを使用していた。何と言う偶然だ。おかげでいろいろと親切に教えてくれた。「あとは、住居の契約書を持ってきてね。それと、月曜日は来ない方がいいわよ、たくさん並ぶから。」
2度目。言われたとおり、月曜日をはずして火曜日に行く。朝8時過ぎくらいに行ったのだが、すでに建物の外に100人以上並んで待っている。SEFが開くのは8時半。とりあえず並んで整理券を取るために待ったが、ようやく建物に入ったところで、「今日の書類提出用整理券は締め切りました」というアナウンス。あきらめて帰る。
3度目。今度は朝7時に到着。前回よりは少ないものの、すでに3、40人が待っている。今回も無理かなあ、と思いつつ、とりあえず開くまで待つ。10月下旬の朝は十分寒い。みんな体をさすりながら待っている。8時半になって、中に入り、今度は何とか整理券を手にいれることができた。41番。とりあえず、整理券を持っていれば受け付けてくれるはずなので、一安心。でもここからが長かった。8時半に受付が開始されたものの、3時間後の11時半になってもまだ17番である。これはあと少なくとも3時間はかかるな。ということは15時半くらいか、と思い、近くのスーパーに買い物に行き、一度家に昼食を取りに帰る。
昼食後、14時半頃再度SEFへ向かう。33番くらいかな、と予想していったら27番。3時間で10人しか進んでいない。ペースが落ちている。これはもう何時になるか予想つかないな。昼ご飯を食べて、ワインをちょっと飲んだせいもあって眠くなる。待ってる間、ベンチでうとうとする。1時間半くらい寝たけど、まだ31番。もう眠くはなくなったので、三島由紀夫の『金閣寺』を読む。残り100ページくらい残っていたのを読み終わる。まだ回ってこないので、「解説」を読む。そして、解説も読み終わる。
ようやく順番が回って来た。すでに午後7時過ぎ。12時間待ったことになる、、、。書類を提出し、用紙に必要事項を記入し、同時に係りの50歳前後の女性がパソコンに入力していく。書類を全てチェックし、パソコンへの記入が済んで、
「ビザ、延長できますので。パスポートに記入しますから、そこに座ってお待ちください。」
そこからさらに待つこと30分、ようやく手続き完了。時刻は午後8時。13時間の末にようやくビザを更新したのであった。
27 October 2005
ビザ更新
25 October 2005
模型隊長、我慢の時
先週はコンペ提出間際で、模型作りにかり出された。最近、新しいプロジェクトがいくつか始動したので、模型製作が大量にあり、うんざりするほど模型を作っている。正直、模型作りから得るものはほとんどないが、「模型隊長」になることが多く、あれこれ不平不満を言う他の研修生をなだめつつ、陣頭指揮を執っている。
たかが模型作りといっても、模型の製作技術だけでなく、段取りとか、締め切りまでに時には徹夜してでも終わらせる根気とか、いろいろな要素がある。いっしょに模型を作っていたレオネルやティアゴは、まだ若いせいなのかどうかは分からないけれど、かなり集中力の散漫な奴らで正直いっしょに模型を作るのは大変だった。その上、「ユタカはきれいに模型作るけど、遅いんだよ」などと、根拠もないことを言い始める。まあ、上の人はちゃんと見てくれているから、そんな発言は無視しているけどね。
「おまえ、自分の方ができると思ってるんだろう?」と言われれば、「そりゃあ、そうだろう」と答える。すると、彼らも笑ってあきらめる。こういうことはどこに行ってもあるもんだな、と思う。それにしても、9月、10月とよく模型を作ったなあ。今、かなりうんざりとしている。でも今は我慢して与えられた仕事をきちんとやるのみ。この1年は我慢だな。
08 October 2005
宮殿デビュー

今週の水曜日、10月5日は「共和制宣言の日(Implantação da República、1910年10月5日)」でポルトガルは祝日。それにちなんだ行事としてリスボンのアジュダ宮殿で展覧会が行われた。カヒーリョ事務所はその会場構成を担当し、オープニングに事務所の所員全員が招待された。展覧会の内容は、アジュダ宮殿とは別の、ベレン宮殿に関するもの。「ベレン宮殿アーカイブ棟」は事務所の代表作の一つである。
「とりあえずジャケットを着てくればいいよ」と事務所の人に言われたのだが、何しろ、ジャケットがない。仕方なく前日コロンボ・ショッピングセンターまで行ってその場しのぎの安いジャケットを購入。パーティにふさわしい靴もなかったので、当日になってシアドで靴を調達。どちらも安物だったけど、とりあえず見栄えのする格好になった。タクシーでアジュダ宮殿に到着すると、各国大使が続々と黒塗りの高級車で到着。ラッパが鳴り、騎士が行進し、想像以上にフォーマルなパーティである。1500人くらい招待されていたらしく、みんなでぞろぞろと展示を鑑賞し、その後に立食パーティ。食事自体はそんなに驚く程のものではなかったけれど、何しろ宮殿の雰囲気が料理をおいしいものにしていた。みんなで写真を撮ったりして、午後6時から始まったオープニング・パーティは午後8時半頃終了。2時間半の宮殿デビューを終え、ポルトワインでほろ酔いのまま、帰宅と同時にベッドに潜り込む。
07 October 2005
ポルトガルで歯医者へ行く
2週間くらい前に歯医者へ行ってきた。海外で病院に行くなんてかなり不安なのに、ましてやポルトガル、、、。模型をいっしょに作っていれば、彼らの手先の器用さがどれ程のものかは十分承知である。うーん、不安だ。
歯医者さんはアントニオの友人のお母さん。というわけで、知り合いづてだし、アントニオも「彼女はいい腕してると思うよ」と言っているし、全く一人で見知らぬ歯医者に飛び込んでいくのに比べればまだ不安は少ない。場所は新市街地のヘプブリカ通り。事務所を早めに切り上げて予約の午後6時に到着。受付は来る前に場所を電話で聞いたおばあちゃん。「名前と住所と生年月日をここに書いて」と紙を渡される。それを記入して待合室で待つ。5分くらいして診察室に呼ばれる。
アントニオの友人のお母さんである女医マリアとアシスタントの女性が迎え入れる。マリアに「治療した歯に被せていた銀色のものが外れてしまったから、そこを治してほしい」と伝えて、早速診察開始。もう4ヶ月前くらいに外れていたので、治療していた部分が結構汚れていたらしい。この日はレントゲンを撮って応急処置をして終了。
ところで、日本で歯医者に行くと、患者の不安を取り除くために、音楽が低いヴォリュームで流れていたりするが、このリスボンの歯医者では治療を始めると何と、マリアが鼻歌を歌いだした。よく聞くと、アシスタントの女性も鼻歌を歌っている。しかも2人で別々の鼻歌。おそらく、同じ効果があるのだろうけれど、夕日が差し込む少し暗い診察室で、患者の不安を取り除くために2人の女性が耳元で鼻歌を歌う様子は、何か、色っぽい感じがしたな。