28 February 2009

ミナ・デ・サン・ドミンゴシュ


メルトラの町から北東へ車で20分、ミナ・デ・サン・ドミンゴシュの町へ着く。川沿いのキャンプ場で昼食を取った後、目的地の鉱山跡へ。「ミナ、mina」は英語で「mine」、つまり鉱山を意味する。

まずは「カザ・ド・ミネイロ」、坑夫の家で資料をもらう。そこから2キロ程の所に鉱山跡がある。入り口も周りを囲む柵も存在せず、ただ採掘場跡、工場跡などを示す看板があるのみである。ポルトガルのアルカセル・ド・サルからスペインのセヴィーリャまで、イベリア半島には「Faixa Piritosa Ibérica(イベリア黄鉄鉱帯)」と呼ばれる長さ300キロ、幅30キロから60キロの鉱脈帯が存在する。周辺の鉱山を含むこの地域における採掘の歴史は、ローマ帝国の時代まで遡り、銅、銀、あるいは金の採掘が目的とされた。サン・ドミンゴシュの鉱山は産業革命後、1857年から1966年まで稼働し、その間は硫黄の生成も行われた。採掘された鉱物はグアディアナ川に面するポマラォンの港よりイギリスへ運ばれていた。この地域の鉱山はその大部分が閉鎖され、現在ではミナ・デ・ネヴェシュ・コルヴォにおいてのみ銅の採掘が行われている。

この産業遺産というべきサン・ドミンゴシュの鉱山跡には廃墟となった当時の工場が崩れかけたまま放置されている。いつ崩れ落ちても不思議ではない工場群は車で見て回ることができ、また車を止めて歩いて建物内に入ることも可能である。その他、入り口近くの採掘跡地に溜まったpH値2から4と表記される池も迫力がある。日が暮れたらかなり不気味な場所になるに違いない。