
エッセンにあるツォルフェアアイン炭鉱遺産を訪ねる。19世紀半ばに開業されたこの炭鉱施設は時代とともに改良を重ね、効率化、合理化を追求したため、建物同士が特異な方法で連結され組み合わされている。バウハウスの影響も受けた建物群は「世界で最も美しい炭鉱」と呼ばれている。コールハース、ノーマン・フォスターなどの建築家によって改修されている部分もある。SANAAが設計した学校も敷地内にある。


29 August 2009
ツォルフェアアイン炭鉱遺産
27 August 2009
コロンバ教会美術館とブルーダー・クラウス野外礼拝堂

ケルン市街地とケルン郊外にあるズントーの作品を2つ見る。
コロンバ教会美術館は、教会の上に美術館を載せるという大胆なアイディアが良く、空間にも外観にもそれが反映されている。地上階の遺跡の空間には上部の美術館のフロアを支える柱が林立し、外壁の隙間から光が射し込む。「廃墟」であった部分は「遺跡」として管理され、その上部にはシンプルであるが、異なる性格の展示空間が並べられている。
ブルーダー・クラウス野外礼拝堂は、そこに辿り着くまでが大変であった。ほとんど標識などが見当たらない田園地帯を車で進む。途中で道を聞きながら何とか目的地に着く。駐車場から結構離れているが、その分どういうコンテクストに建物が立っているのかを身をもって感じることができた。三角の重い扉を開いて中へ入ると、野外礼拝堂というだけあり、そこには屋根がなく、外部である。建設方法などプロセスもおもしろいプロジェクトであるが、僕にはこの屋根がないということの方がとても印象的であった。
26 August 2009
ケルン大聖堂
インゼル・ホンブロイッヒ美術館

レウスから飛行機でデュッセルドルフに到着。デュッセルドルフ行きとは言え、実際には地の果てのような空港に着く。そこからデュッセルドルフ近郊のノイスという町へ向かう。
インゼル・ホンブロイッヒ美術館は、広大な自然の中に点在する大小様々なパヴィリオンにより構成される。パヴィリオンはエルヴィン・ヘーリッヒという彫刻家によって設計された。内部への採光の方法、シークエンスや視線など建物と周辺の自然との関係、そして彫刻としてのボリューム等の観点から非常に図式的な空間が提示されている。そこでは空間も鑑賞の対象である。この空間にはどのような意図が隠されているのか、とまるで美術作品を鑑賞するようにそこで考えをめぐらすのである。
それだけでも非常に希有な体験であるが、この美術館のもう一つの魅力は、そこにも何かしらの意志が存在すると言わんばかりの自然の圧倒的な存在感である。
23 August 2009
モンフェリのエルミータ
モンフェリという町に一風変わったエルミータがあるというので見に行く。タラゴナから北東へ車で約30分、オリーブやヘーゼルナッツの木、そしてぶどう畑の点在する風景の中に突如としてエルミータはその姿を現す。全くの予想外の外観に思わず身を乗り出す。しかし、同時にどことなく親近感を覚える外観でもある。中に入り、このエルミータの建設過程のパネルに載せられた一枚のスケッチを見て、あっ、と思う。
エルミータ建設の構想は1922年に始まり、1925年より建設が始まる。政治的、経済的理由により1931年に建設は中断されたが、56年後に再開され、それからさらに12年後の1999年に遂に完成する。エルミータにはカタルーニャの守護聖人である黒い聖母、モンセラットの聖母が祀られ、外観もモンセラットの山をモチーフにしたデザインである。設計を担当したのはガウディの弟子として有名なジョゼップ・マリア・ジュジョール、とある。そこで僕の記憶の点と点が結ばれた。
高校生のころ、スペインのモデルニスモ建築に関する本を学校の図書館で偶然手にとって読んだとき、そこにこのスケッチが未完のモデルニスモ建築の一例として載っていたのを思い出した。それが建設途中であるということが書いてあったどうかまでは覚えていないが、まさかモデルニスモのプロジェクトが、サグラダ・ファミリアの例はあるにしても、現代になってしかもこの10年の間に建設されるとは想像だにしなかったのである。
22 August 2009
CCCB
バルセロナには1日のみの滞在。RCRの図書館、伊東豊雄のホテルのファサード、カタルーニャ音楽堂、CCCBなどを見る。
図書館は昨年の秋に訪れた時は、まだ中庭の部分が完成していなかったが、今回は中庭が完成し、随分と印象が良くなった。中庭を開放したプラン、その中庭へ入って行く黒光りした空間、隅々に様々な読書スペースが設けられているプランなどが良いと思った。
その後、グラシア通りの伊東さんのホテルのファサードを見る。かなり人目を惹くデザインだが、斜め向かいにカサ・ミラがあるせいで、大部分の人はその奇抜なファサードを素通りしていく。鉄板をきれいに曲げてあり、フォトモンタージュの通りに出来上がっているが、逆に言えばフォトモンタージュから得る印象と実際の印象があまり変わらない。新しいファサードと既存の建物の間にできたテラス部分を体験してみたい。
その後、フジイさん、コバナワさんと中華料理屋に行く。もともとは中国人のための中華料理屋だったらしく、久しぶりにパンチの効いた中華料理を食べる。しかも、驚く程安い。昼食後、彼らのオススメのCCCBを訪ねる。中庭の既存の建物をU字型に残し、残る一辺を新しくガラスのファサードを持つボリュームで改修している。そのガラスのファサードとは反対側の一辺より中庭のヘリを沿うようにスロープが地下へ下りて行き、最終的に新築部分にたどり着く。そこにエスカレーター、エレベーターなどの垂直動線が設けられていて、大きな吹き抜け空間になっている。間仕切り可能な、ざっくりとしたコンクリートむきだしの空間が現代文化センターの用途に合っているらしく、常に何かしらのイベントが行われ、賑わっているそうである。
外から見るとガラスのファサードは既存の建物の軒線から30度くらい手前に折れ曲がっている。その折れ曲がった部分には、バルセロナの街並と地中海が映り込む。平らなバルセロナの町、そして中庭という閉じた空間に身を置きながら、町を見渡し、海の存在を再確認するという詩的な仕掛けが施されている。アルベルト・ヴィアプラーナ・イ・エリオ・ピニョンによる設計。
21 August 2009
ペレ・マタ精神病院

レウスはかつて商都として栄えた歴史を持ち、そのためモデルニスモの建築が数多く現存している。レウス郊外にあるペレ・マタ精神病院もその一つである。ドメネク・イ・モンタネールの設計。
かつてカタルーニャの家庭では男子よりも女子の方が重宝された。跡継ぎの一番手は長女であり、男子は何らかの方法で家の外に追い出された。行く先の一つに精神病院があった。豪華なモデルニスモ建築であるペレ・マタ精神病院にはお金持ちの男の子たちが送り込まれた。
「異常だったのは、この病院の中で生活した男の子たちではなく、病院の外にいる人達だったのです」
とガイドの男性は当時の時代背景を説明する。そこでは毎週のようにダンス・パーティが開かれ、お金持ちの若い男性を求めてたくさんの女性が訪ねて来た。
他の病棟もドメネク・イ・モンタネールによる設計だが、現在でも精神病院として使用されているため見学することはできない。壁、床、天井、家具、扉とありとあらゆる部分がデザインされたモデルニスモの建築は、拒食症なポルトガルの現代建築を見飽きた目の保養になった。モデルニスモの建築には、建築が本来持っているべき「楽しさ」の要素がある。
20 August 2009
ポブレー修道院

タラゴナから車で北へ1時間弱のところにポブレーは位置する。そこには世界遺産にも登録されているポブレー修道院がある。1151年にシトー派修道院として築かれる。19世紀以降、廃墟と化していた修道院の修復が1930年から始まり、1940年から再び修道士がそこで生活を始める。現在でも修道士が生活しているため、見学できる部分は限られている。修道院のプランと航空写真を見たとき、その複雑なボリュームの重なりに興味を持ったのだが、そのような理由で、残念ながらそれを空間として実感することはできなかった。
他にもバイボナ、サンテス・クレウスの修道院を見て回る。これらもシトー派の修道院で、人物、動物などを描かない簡素な装飾がシトー派修道院の特徴である。
16 August 2009
豚の丸焼きと野外映画館
金曜日は休暇前最後の出勤日だったので、所員全員で事務所近くのマデイラ料理レストランで昼食をとる。午後2時半から始まって、午後6時まで続く。その後、フランシスコ、スザンナとミーティングをして、みんなで事務所のコラボレーターであるグラフィック・デザイナーの誕生日パーティーに行く。カルカベロシュをちょっと内陸に入ったところにあるキンタがパーティ会場。メインは豚の丸焼きシュラスコ。両手両足を広げた豚がくるくると回る。そこから少しずつ肉を削ぎ落として、パンにのせて食べる。徐々にやせ細って行く豚が哀れに思われたけれど、肉は普通のシュラスコ・レストランで食べるより何倍もおいしい。帰りに見た照明で照らされたカルカベロシュのビーチは真夜中でも人々で賑わっており、夏の夜という印象を強くした。
昨日はユウコさん、フレデリコとともに野外映画館に行く。このイベントは先月から毎週末、リスボン各地の公園で開催されている。同様にジャズ・コンサートもリスボン各地の公園で開催されおり、全て無料である。そして昨日は家の前のジャルディン・ダ・パラーダが会場であった。午後8時半に我が家に集合して、ユウコさんお手製のお弁当を食べる。ケータリング業を手掛ける彼女の試作品ということだったけれど、久しぶりに和食らしい和食を食べて、僕もフレデリコも満足する。あのお弁当独特のご飯の感じが懐かしかった。
10時になってビールと椅子を持って公園に下りて行く。公園の電灯が消されて、スクリーンは意外と鮮明で見やすい。時々子供が走り回ったり、上空を飛行機が通り過ぎて行く中、みなリラックスして映画に見入っている。このコミュニティに属するあらゆる世代の人々が集まって映画をいっしょに見るというのは何とも平和的な感じがして良かった。暑さを取り戻したリスボンの夏の夜にもぴったりであった。
10 August 2009
野外コンサート
最近は2週連続で日本人会だ。こうやって、こちらで生活でする日本人と会って話をするのはストレス解消になる。みなそれぞれの理由でリスボンに来て生活している。現在、ポルトガル在住の日本人は以前より減って500人くらいだそうだ。少ない。さらに、生活の拠点をこちらに移している人となると本当にわずかなものだろう。それくらい、ポルトガルというのは日本人にとって縁のない国である。その逆もまた然り。それにしても女性が男性より多い気がする。
昨晩は、ゴンサロに誘われてグルベンキアンにジャズ・コンサートを聴きに行く。去年もここのアンフィテアトロでジャズを聴いた。1曲演奏し終わると、樹木が風に揺れる音だけがそこには残る。その瞬間がとてもいい。たくさんの人が聴きに来ている。森の中で行われている秘密の演奏会のような感じがする。
演奏が終わると、クアルテットはお辞儀をして、それから拍手に包まれながら舞台のすぐ後ろの階段を地下に下りて行く。その階段の位置が絶妙である。その階段がなければ彼らは演奏が終わってもいつまでも「さようなら」と手を振り、きまり悪い笑みを浮かべながら、いずれかの方角に向かって退場しなければならない。