31 July 2009

市電を待つ


事務所には歩いて行くか、市電に乗って行くかのどちらかである。歩くと25分、市電だと待ち時間に差があるから、15分から25分。歩いて行っても近いし、通勤時間にもそれほど差はないけれど、カンポ・デ・オウリケからサントスまではかなりの急勾配であるから、特に帰りは市電に乗った方が楽である。でも、忙しい時はすぐに市電が来ない場合は歩いて行くし、考え事をしていると乗り場をつい通り越していることもある。目を覚ますために敢えて歩いて行くこともあるし、頭をリラックスさせるために市電という手段を選ばないこともある。定期を更新し忘れていることもあるし、帰りはゴンサロに車で送ってもらうこともある。また、どう考えても、市電が僕の通勤時間を避けて運行しているとしか考えられない、そういう時期もある。そういったことが重なると、僕は市電に乗って事務所に行くという考えに懐疑的になるばかりか、市電のこと自体忘れてしまうのである。

この忘却にはサイクルがあって、市電のことを僕は昨日になって再び思い出した。

28 July 2009

FMM


金曜日。カンポ・デ・オウリケに最近オープンしたばかりのレストランにゴンサロ、フレデリコと3人で行く。ここはもともと肉屋兼シュラスカリアであった。そこを改修し始めたのは2ヶ月くらい前。狭い店内を拡張して、テラス席を設けた新しいレストランはなかなか期待を抱かせる雰囲気に仕上がっていた。

そこはヴィトール・ソブラルというポルトガルでは名の知れた料理人によるレストラン。週末ということもあって、外ではワインを片手に待つ人々で賑わっている。先に着いた僕とフレデリコはカウンターでワインを飲みながら席が空くのを待つ。店員はかなり忙しそうにしているものの、常に客とジョークを交わす余裕は持ち合わせている。しばらくするとゴンサロがが到着して、ファリニェイラとソラマメを煮込んだものと、ニーザのチーズとトマトのコンポータを前菜として注文する。テーブルについてからのメインの小皿料理5品よりも、この前菜の2品の方が印象に残った。ワインもおいしかったし、久しぶりの洗練された料理に満足。

土曜日。シネシュのワールド・ミュージック・フェスティバルに行く。このフェスティバルはまだ始まって数年しか経っていないが、年々規模が大きくなっている。かつて、カボ・ヴェルデ出身の歌手マイラ・アンドラーデなどもこのフェスティバルでその存在を世に知らしめた。まだ世に出ぬ世界のアーティスト達を一堂に集めた音楽祭ということでかなり人気のフェスティバルである。ポルト・コーヴォのビーチやシネシュの城といった魅力的な会場も人気の要因である。

午前中に、ゴンサロ、フレデリコとリスボンを出発し、まずはポルト・コーヴォのビーチへ行く。今夏2度目のビーチ。ポルトガルの大西洋側のビーチは、なかなかヒンヤリとした海水で、最初は入るのにかなりの勇気を要したが、僕はこれが気に入っている。日差しが強烈であるので、日焼けした肌にはちょうど良いのである。そして、何よりもポルトガルの大西洋側には鄙びた美しいビーチがたくさん残っていて、そこにいるだけで何か得をしたような気分になるのである。

フェスティバルは、会場の雰囲気こそ良かったが、肝心のアーティストはやや期待はずれであった。あと、もう少し早く会場に着くべきだったな。何となく雰囲気に乗り遅れた感じはあった。昼くらいには町に着いて、ぶらぶらと観光して、昼食をゆっくり食べて、夕方のライブから会場に足を運んで、それから本番を迎える、といった具合に徐々に興奮を高めていく必要があった。

日曜日。再び、ビーチへ。今度はポルト・コーヴォよりやや北上したトロイアのビーチ。基本的にポルト・コーヴォのビーチと同じ雰囲気。でも、大西洋側ということで言えば、4年前、ポルトガルで初めて迎えた夏に行ったアルジェズールのビーチにはかなわないように思う。そこは人もまばらで、海水も暖かく、より鄙びた雰囲気を醸し出していた。

19 July 2009

カンポ・マイオールのスイミングプール


リスボンから東へ、スペインとの国境へ向かって行くとそこには広大なアレンテージョの風景が広がる。そして、リスボンなどの沿岸部の地域と異なり、内陸部特有の強い日差しと大地からの照り返しによって、どこへ押しやることもできない熱気がそこには存在する。都市部と違って、そこでは全てが太陽に晒されているのだ。

カンポ・マイオールの町も、その例に漏れず、太陽の日差しの厳しい所である。スペインとの国境近くに位置するこの町に、僕はカヒーリョ・ダ・グラサ設計のスイミングプールを訪ねた。バスを降りて、まずは城を訪ねる。しかし、城壁まで来たものの入り口がなかなか見当たらない。太陽は既にかなり強烈な光を放射している。近所の番犬に吠えられ、飼い主が顔を出した所で、城の入り口はどこですかと訪ねる。ここの斜路を下って行った所だが、今日は閉まっている、と彼女は言う。

城はあきらめ、一番の目的地である市営プールへ向かう。頭の中に地図を思い浮かべながら、城との位置関係から市営プールを目指す。歩いていると、所々で町の外側のオリーブの木の点在する広大な大地が見え隠れする。スイミングプールは中心地から少し離れた、その茫漠とした大地の中に佇んでいるはずであった。

舗装された道路が終わり、少々不安を感じ始めた頃、手提げ袋を肩からかけた一人の女の子が草むらの中に消えて行くのを見かける。その確信に満ちた足取りから、僕は、きっとそこにスイミングプールがあるに違いない、と考える。この町で、確信をもって草むらに消えて行く理由など他にないような気がしたのだ。そして、やはりその草むらの向こうにスイミングプールはあった。(当然のことだが、車が乗り入れることができるような、もっと分かりやすい道も別のところに存在していた。)

それなりに足に疲労を感じる程の距離を既に歩いていたし、何しろこの強い日差しのせいで、背中にはぐっしょりと汗をかいていた。最初から分かっていたことではあったが、ここで「市民プール」という言葉が僕に少しばかりの緊張を与える。

「カンポ・マイオールの市民ではないですが、私も入ることができますか?」

外国人であるかどうかはさておき、すでに海水浴用の水着に着替えた状態で、少なくとも地元の人間ではないことだけを前提に質問する。それ以外の面倒な前提はなるべく始めから除外しておきたかったし、プールへ出かけ、そこで泳ぐということに面倒な手続きが存在するべきではなかった。

「もちろん」

係りの男性は当然ではないか、という表情で答えた。

当初はそのスイミングプールを表すのに「非現実的」という言葉が最も適切であるように思われた。乾燥した大地を背景に、そこには深さ、形状の異なる3つのプールが水をたたえていた。そのアンバランスさに衝撃を受けたのだと、始めは思った。しかし、乾燥した内陸部の環境において、水は人々に欲されるものであり、必要不可欠なものである。その関係はアンバランスというよりは、むしろ相互に補完し合う関係である。

プールサイドからは周囲のパノラミックな景色を眺めることができる。これがこの建築の最大の仕掛けである。なぜ自分はここに水浴びをしに来たのか。その問いに対する答えは、そこに身を置くことで既に無意識裡に知り得ているものなのである。それが僕が感じた「衝撃」の正体だったのだ。

(プールサイドからは隣接する緑地にアクセスすることができる。人々はそこにビーチタオルを並べ、日光浴を楽しむ。)

14 July 2009

部屋を貸す

3月にヤスシ君が帰国して以来、同居人なしで暮らしている。一人で住むというのは気楽でいいのだが、同居人がいた方がもちろん経済的には助かる。ということで、インターネットのコミュニティサイトに「リスボンでお部屋貸します」という告知を出してみた。最初はなかなか反応がなかったけれど、5月になってようやく奇特な方が現れた。日本からスペインのアンダルシア地方、モロッコを旅行して、リスボンに行くので短期で泊まらせてほしい。僕にメールをくれたのは、フラメンコダンサーでもあるチエさんだった。

友人とともに3泊していった彼女に、よくもまあ泊まる気になりましたね、と彼女が日本へ帰国する最後の夜にストップで夕食を取りながら聞いてみると、確かにそれもそうですね、と見知らぬ人の家に泊まることをそれほど気にしていなかった模様。その後、彼女が同コミュニティサイトに記したお礼の書き込みのおかげで、それまで全くなかった問い合わせがぼちぼち来るようになった。彼女が文字通り僕の家のトビラに風穴を開けたのである。

以後、サント・アントニオに合わせてスイス人のカリムが滞在した後、先週までパリ在住の日本人写真家、ウネさんが滞在された。彼とは滞在期間中、何度も食事をしたし、僕の若い友人たちとも夕飯を食べ、お酒を飲んだ。そういえば、宿泊者というわけではないが、先月はバルセロナからAnywheredoorのコバナワさん、フジイさんも日本の建築家展の関係でリスボンにいらしていた。その日も例によってストップで夕食をご一緒した。その時もウネさんに参加してもらった。

こんなふうに、告知の効果もあって、先月は様々な出会いがあり、様々な考えに触れることができたのである。

11 July 2009

二日分寝る

木曜日にリベルダーデの実施図面をクライアントに提出。図面の量が多くて結局最後は徹夜で仕上げることになった。締め切りを守ることが出来て良かったし、クライアントもプロジェクトに満足していたようで良かった。一部のエンジニアのプロジェクトはやっぱり間に合わなかった。電話ではあれだけ大丈夫といいながら、、、。それが彼らの常套手段だということに後で気が付く。リベルダーデは次は地上階部分のショップのファサードの検討に入る。

金曜日は昼食の後から出勤。出勤するぎりぎりまで、二日分くらい寝たけれど、睡眠時間だけでこれまでの疲労が回復するわけではない。フランンシスコと次のプロジェクトのミーティングをする。3年以上前に、僕が初めて担当したモンテモール・オ・ノヴォの週末住宅プロジェクトのプラン修正で、リビングからの眺望をもっと確保できるようなプランに変更してほしいということだった。このプロジェクトは初めて自分が担当したプロジェクトということで思い入れもある。それが遂に動き出したということである。今まで事務所に残っていて良かったとも思う。

今日は約2ヶ月ぶりの、仕事のない週末である。

06 July 2009

ラベルのないヴィーニョ・ヴェルデ

今はリベルダーデのプロジェクトで、正直なところ、気が滅入っているけれど、こういう時期に僕がポルトガルで出会った仲間達が日本へと帰国して行く。本当は、ひとりひとり、盛大なパーティでも開いて送り出したいのだけれど、なかなかそういう時間もない。だからせめて最後にポルトガル料理なり、ポルトガルワインなりを楽しんで帰ってもらいたいと思い、行きつけのレストランに向かう。行きつけとは言え、せいぜい月に一度か二度利用するレストランだが、先月はおそらく5回以上足を運んだのではないか。

今日はホカマさんを送り出す最後の夕飯となった。彼女の友人もいっしょに、焼き魚を何匹も食べ、ワインを何本も空けた。ここのヴィーニョ・ヴェルデはラベルもない、おそらくここでしか飲めないヴィーニョ・ヴェルデである。これがうまい。これ以上にうまいヴィーニョ・ヴェルデを飲んだことがない。これはここ最近で最も大きな発見である。

03 July 2009

思考停止

今日は久しぶりに早目に帰宅する。といっても別にプロジェクトが終わったわけではない。建築家がプロジェクトをコーディネートする必要があることはもちろん分かっているけれど、エンジニアは少なくとも、早くやってくださいと言われないとやらないし、言われてもなかなかやらない。一体何度同じファイルをエンジニアへ送ったのだろう、、、。今日は電話の受信を拒否されたしなあ、、、。どうなってんだろう?クライアントも迷走気味だし。今さらながらポルトガル流のワーキングスタイルに翻弄されている。

だから今日は早めに帰って来た。フットサルにも誘われたけど、今日は、何だか疲れていたので断った。