17 October 2007

B.LEZA、カムバック


最近、友人と「昔はB.LEZAがあって良かったなあ」とたかだか4ヶ月前の昔話をしていたのだけれど、今日昼食に出かけた時に見覚えのあるポスターを発見。何と10月18日(あさって!)にカイス・ド・ソドレのMusic Boxを借りてB.LEZAがライブ・イベントをやるらしい。昼食後、事務所に戻ってB.LEZAのウェブを久しぶりにチェックすると、まだ移転先は決まっていないものの、これから月に一回ペースでこういったイベントを開催していくそうだ。B.LEZAはこのままノタレ死んでしまうのか、と心配だっただけに何ともうれしいニュースだ。

木曜日は事務所でサッカーの日だが、イベント開始は23時半。サッカーをやった後に行ける。平日だけど、木曜日だし何とか乗り切れるだろう。

ちなみに今日はfnacで11月のSeu Jorgeのコンサートのチケットも購入。こちらも楽しみ。

16 October 2007

『建築雑誌』という建築雑誌


今月号の『建築雑誌』に記事を書いています。『建築雑誌』とは、建築学会員全員に送られてくるあの雑誌ですね。これって書店で見たことないけど、市販しているのだろうか?

その中に「切手に見る世界建築」という連載があるのだけれど、そこに「ポルトガルの現代建築」というタイトルで書かせてもらっています。これって名物コーナーらしい、よ。

15 October 2007

新たな「居場所」を見つけた週末

大いに飲み、食べ、話した週末だった。

金曜日はホリエくんとプラサ・ダ・アレグリア近くのインド料理屋で近況報告。最近、比較的平和なカヒーリョ事務所に比べて、ホリエくんはコンペ提出間際で忙しそうだ。その後、その数軒隣にある、前から気になっていたワインバーへ行く。隣のちょっと下品なイギリス人女性が気になったが、グラス1杯の値段もそれほど高くなく、静かで落ち着ける場所だ。バイロ・アルトの飲み屋ではなかなか落ち着いて話すという環境を見つけるのが大変だが、そういう意味でここはなかなか良かった。

土曜日は同僚フレデリコの家でスシパーティ。僕にとってスシパーティを開くのは、ポルトガル通算8度目である。10人前を想定して用意した材料も、結局参加者は6人で、残飯が大量に発生するのでは、と心配だった。フレデリコはスイスのモントルーで育ったポルトガル人であるが、モントルーはジャズ・フェスティバルで有名なところだ。そのDVDを見たり、ユーロの予選を見たり、ワールドカップ・ラグビーの準決勝を見たりしながら、約4時間をかけてほとんど食べ尽くしてしまった。サッカーのポルトガル代表は勝利を収め、前節までの危機を抜け出し、本選出場に大きく近づいた。ラグビーのワールドカップと言えば、今回ポルトガルが初出場を果たし話題になった。結果はグループリーグで日本並の大敗を喫しているが、出場国中唯一のアマチュア選手によるチーム構成であった。

日曜日はシザ事務所のイトウさんに誘われてテアトロ・カモンイシュにコンテンポラリー・ダンスを見に行く。イトウさんの知り合いの日本人の方がその公演に参加しているらしい。これが僕にとって通算2度目のコンテンポラリー・ダンスの公演であったけれど、ますます興味が湧いてきた。公演後、ダンサーのカナエさんやその友人の方々とともにフィゲイラ広場近くの中華料理屋に行く。こんなにおいしい中華料理屋がリスボンにもあったのかと驚く。コンテンポラリー・ダンス界におけるポルトガルの位置付けに興味をもっていろいろと質問する。ヨーロッパではオランダやベルギーのカンパニーがリードしているらしい。日本ではヨーロッパと違ってダンスで食べていくのはかなり難しいらしい。ダンスという、建築とは別の世界でも、リスボンに数人の日本人の方々が活動されていて、彼女達の世界、コミュニティのようなものがあるのがおもしろい。彼女達にとっても僕らの存在について同様の感想を持ったようだ。その後、今日初めて話したヤストさん(リスボンの某日本料理店の店員さんなので、会ったのは初めてではない)がよく行くというアヴェニーダの隠れ家的バーに行く。「隠れ家的」であるだけあって、僕はその通りをほぼ毎日のように通っているにも関わらず知らなかったのだけれど、ゆったりまったりと飲める感じで良い。

久しぶりにリラックスして食事をし、話しをしたというだけでなく、新たな友人、居場所を見つけた貴重な週末だった。

07 October 2007

スカイプでシンポジウムに参加

事後報告になるが、昨日土曜日に東京の建築会館で開催されたリスボン建築トリエンナーレに関するシンポジウムに参加させてもらった。もちろんこれだけのために帰国はできないので、スカイプを使ってリスボンより参加。ボスの承諾を得て、インターネットの接続環境の安定している事務所を使わせてもらった。日本時間午後1時から始まるシンポジウムに参加するため、午前5時に自宅を出る。もっとも直前の午前3時くらいまで事務所で資料をスキャンしたりしていたので、事務所から帰宅してシャワーを浴びて、すぐに事務所に戻ったわけなのだが。つまり、徹夜。

徹夜の常で、午前7時、8時は魔の時間帯である。そして今回その魔の時間帯は、シンポジウム真っ最中にやってきた。僕の発表はシンポジウムの最後の方で、約3時間程、パソコンの前で他の発表をスカイプを通して見ていたのだけれど、睡魔は容赦なく襲い掛かる。僕の映像はシンボリさんのラップトップに出ているはずで、まずいまずいと思いつつ、2回ほどコックリとやってしまった。もっともスカイプでは映像はそれほどスムーズに見えていないはずなので、バレなかったかな。

さすがに自分の発表が近くなると目が覚めてきた。しかし、人前で発表するなどかなり久しぶりで、特に発表前半はガチガチに緊張してしまった。なんとか発表を終え、質疑応答になり、イガラシさんより、リスボンのポスト・モダニズムについて質問がある。これは僕の発表が、50年代、60年代のポルトガルにおけるモダニズムを理解せずには、ポルトガルの現代建築は理解できない、というアナ・トストンイスの言説に基づいていて、ポスト・モダンの話しが出てこなかったからなのだが、その返答で、ポルトガルのポスト・モダンが始まった時期をなぜか50年代からと答えてしまう。冷静になれば、ポスト・モダンがそんなに早い時期から始まるはずがなく、リスボンでは80年代からつい最近までトマス・タヴェイラを中心としたポスト・モダンの風が吹き荒れていたことは、特に何かの本を読まずとも、普通に答えられたはずなのである。

ポルトガルの現代建築についてヌノ・グランデがモダニズム時の「批評的地域主義」に対して「批評的国際主義」、とその特徴を説明したのだけれど、これについて会場から質問。自分では理解したつもりでも、いざ人に分かりやすく説明するのは難しい。僕の返答は分かりにくかったに違いない。

事務所からの帰り道、思い返せば思い返すほど恥ずかしさでいっぱいになる。しかし、また良い経験をさせてもらったと前向きに捉えよう。

03 October 2007

待ちぼうけ

家探しに進展なし。

今日は事務所のあるサントス周辺で見つけた物件を昼休みに見に行く。昨日の昼休みに「貸します」の看板を見つけ、すぐに電話して今日の午後2時に見せてもらうことになっていた。一人暮らしを考えている同僚のゴンサロも連れて行く。

約束の午後2時前に物件の前に到着。昼休みに降り始めた雨の勢いが強くなっていく。この辺は静かだし、事務所にも近いし、住むにはいいとこだよね、などと雑談をして待つ。レストランやカフェが多くて便利だし、節約したかったら昼食は家で取ることもできるから、ここはなかなかいいよ。

約束の時間を過ぎ、15分程待っても昨日電話で話した家主は現れない。携帯に電話してみるが、出ない。しばらく経ってまたかけるが、出ない。仕方なく近くのレストランに昼食を取りに行く。そこで食べながら待っていても、電話はかかってこない(そして、夜になっても電話はかかってこない)。

うむ、たぶん僕が外国人だったからだね、と2人で納得。昨日、電話で話していた時、僕の話し振りから、ポルトガル人じゃないよね、と聞かれたのを思い出す。日本人、というと、彼はちょっと安心したような声で、ああそうか、と言っていたのだけれど、おそらく彼の家族が外国人に貸すのはやめといた方がいい、と諭したに違いない。

そういうわけで、彼は、僕が雨の中、約束の時間通りに物件の前に現れようが、始めから僕に家を見せるつもりも、僕からの電話にこれ以上出るつもりもなかったのだ。